戸籍の話 ( 続き )
[ 9:明治新政府と戸籍 ]明治新政府は日本が近代国家として歩み発展するためには、義務教育制 ・ 徴兵制 ・ 徴税 ・ 衛生管理などの政策を推進することが必要と考え、そのためには個人の把握が不可欠であるとして すべての国民に戸籍を作り 、 戸主と家族からなる 「 戸 」 に登録させることにしました。明治 4 年 ( 1871 年 ) の太政官布告によって、 全国総体ノ戸籍法 を制定し、翌 5 年 ( 1872 年 ) に施行しました。( 9−1、壬申戸籍 )
日本初の近代的戸籍法施行の年である明治 5 年が、干支 ( えと ) の 壬申 ( じんしん ) 、訓読みで、みずのえ ・ さる の年に当たっていたので、この戸籍を壬申戸籍 ( じんしんこせき ) と呼びましたが、この戸籍により明治政府の行政上の基礎が築かれました。右が国立公文書館に収蔵されている壬申戸籍です。 壬申戸籍では臣民 ( 国民 ) について、以下の社会的身分を記載していました。
社会的身分については上記以外にも、穢多 ( えた ) ・ 非人 ( ひにん ) の記載もありましたが、これについては既に 穢多 ・ 非人等の称廃止令 ( 注参照 ) が発布されたにもかかわらず、従来からの社会的差別事項の記載が残ったままで、1945 年の敗戦後も壬申戸籍 ( じんしんこせき ) の閲覧が可能であったために、結婚などの際に新平民 ( しんへいみん、穢多 ・ 非人 ) の家柄の調査によく使われました。 そこで昭和 43 年 ( 1968 年 ) になって法務省民事局長通達により、壬申戸籍の 閲覧 ( えつらん、調べたり読んだりすること ) を不許可にしました。
注:) 穢多 ・ 非人等の称 廃止令 ( えた ・ ひにんとうのしょう はいしれい ) 封建的な賤民身分の廃止とその職業の自由とを認めるために、明治政府は明治 4 年 ( 1871 年 ) 8 月 28 日に太政官 ( だじょうかん ) 布告 489 号を出しました。というものでした。これについて更に知りたい方は ここをクリック 。 敗戦直後の昭和 21 年 ( 1946 年 ) 11 月 3 日に新憲法が公布され、同時に 「 日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律 」 という非常に長い名前の法律の施行により、民法上の 「 家の制度と家督相続の制度 」 が廃止され、昭和 23 年 ( 1948 年 ) には新民法が施行され、戸籍制度も全面的に改正され、 戸籍の単位を 家ではなく 、夫婦と氏を同じくする子 を以て単位とすることになりました。 ところで私の本籍 ( 戸籍がある場所 ) はその昔 父親が生まれた栃木県の村にありましたが、そこには何も無く、 親の生家の近くにある畑の地番である [ 字 ( あざ ) ○ △ 282 番地 ] が本籍でした。つまり 明治 4 年 (1871 年 ) の戸籍法制定により翌 5 年から全国 一斉に作られた 戸籍 とは、 土地 ( 田畑 ) を基本にして 家 単位で編成されたもの でした。
[ 10:外国の制度では ]戸籍のことを英語で ファミリー ・ レジスター ( Family Registter 、直訳すれば家族登録 ) といいますが、日本と同様な戸籍制度があるのは韓国 ・ 台湾であり、それ以外の国では日本でいうところの 戸籍制度はありません 。 ヨーロッパの キリスト教文化圈では、古くから出生 ( 洗礼 ) ・ 結婚 ・ 死亡 ( 葬式 ) の際には教会が一定の役割を果たして来たので、教会がその都度 備え付けの帳簿に、それぞれの項目別に記録することにより個人の身分関係を保存してきました。しかしこの方法では人の移動 ・ 転居 ・ 国外への移住 ( 注参照 ) などに伴い所属する教会を変更する機会が多くなり、あるいは キリスト教以外の宗教に改宗する者が出るようになると、個人の 一生の身分関係を統一的に明らかにするのに不便であり、しかも 祖父母 ・ 兄弟姉妹関係の記載が欠落 しているので、遺産相続などの場合にはその公的証明には非常に困難を伴います。 そこで新しい登録制度をとりつつある国もあり、出生 ・ 結婚 ・ 死亡などの届け出に基づき、その情報を一箇所で集中管理するようになりつつあります。アメリカに例をとれば、生地主義 ( 日本は血統主義 ) の国なので、そこで生まれた子供は自動的に アメリカ国籍を与えられますが、合衆国といわれるように州により手続きが異なるものの、多くの州では出産に立ち会った医師に人口動態統計局への届け出の義務があり、親は子の名前を決めるだけで届け出の手続きは病院がおこないます。
結婚 ( Legal Marriage 、法律上の結婚 ) をする場合には、役所から事前に 結婚許可証 ( Marriage License、マリッジ ライセンス )をもらってから教会で結婚式を挙げますが、式に立ち会った牧師が州の登録関係の役所に報告すると、 結婚が登録されて Marriage Certificate ( 結婚証明書 ) が発行されます。 これはあくまでも法律上の効果を持つ結婚式の場合であって、日本人が新婚旅行で外国へ行き、 異教徒 であるにもかかわらずその地の キリスト教会に行き結婚式 (?) を挙げる時のように、法的効果を伴わない単なる 祝福式、 ブレッシング、( Blessing ) の場合には、事前の結婚許可証の申請手続はもちろん不要です。
注:) 国外への移住( 10−1、中国の戸籍 ) 中国では 1958 年に戸籍管理法が制定されましたが、それによると国民を 農村戸籍と 非農村 ( 都市 ) 戸籍 に分類し、農村に生まれついた人間は大学入学などごく一部の例外を除いて、一生農村で暮らすことを強制するものでした。当時は生産力が乏しく物資や 住宅が極端に不足し都市機能も貧弱だったため、人口の自由な移動を許すと、国の基盤が崩壊しかねないとの判断が根底にありました。
注:)東京への転入制限中国では 戸籍の違いによる法律上の差別 が今も厳然と存在し、たとえば交通事故による死亡事故の場合、被害者が都市戸籍であれば賠償金は 53 万元 ( 690 万円 ) 程度ですが、農村戸籍を持つ人の場合では 24 万元 ( 310 万円 ) と半分以下に減額されます。負傷の場合も農村戸籍を持つ人であれば慰謝料は半分以下となり、戸籍の種別により命 ( いのち ) の値段、損害補償額が決まるといわれています。 ( 10−2、中国の無戸籍者 ) 中国は 1980 年から夫婦は原則として子供を 1 人しか持てない 「 一人っ子政策 」 を現在も実施していますが、2 人以上生んだ夫婦は罰金として年収の数倍にも相当する「 社会扶養費 」を支払うことになります。そのために多くの夫婦は 2 人目以上の子供が生まれても出生届を出さずにいて、その結果中国社会には 戸籍のない 黒孩子 [ ヘイハイズ、闇 ( やみ ) っ子 ] が 少なく見積もっても 5 千万人 、多ければ その数倍存在するともいわれています。
[ 11:結婚 ・ 離婚 ]かつての日本は世界でも希な結婚 / 離婚の手続きが簡単にできる国だといわれていましたが、民法第 738 条 [ 婚姻の届出 ] によれば、
今から 120 年前に福沢諭吉が記した 「 中津留別 ( なかつ りゅうべつ ) の書 」 の中で、
人倫 ( じんりん、人としての道徳的にとるべき道 ) の大本 ( たいほん ) は夫婦なり。夫婦ありて後に親子あり、( 以下省略 )と説きましたが、昭和 20 年 ( 1945 年 ) の敗戦後の民法や戸籍法の改正により、男女同権 ・ 平等の考えが次第に世間に普及したので、当時の男性達は自嘲 ( じちょう、自分をあざける意味 ) を込めて 戦後強くなったのは 女と靴下 というようになりました。それまでの破れ易い絹製の ストッキングに代わり、戦後は丈夫な ナイロン製の ストッキングが開発されたからでした。 その変化を如実に示したものが敗戦後から現在に至る迄の離婚率の変化ですが、その 増加率は 61 年間に 4 倍に達し、最近では結婚した夫婦のうち 3 組に 1 組 が離婚 する世の中になりました。
厚生労働省大臣官房 ・ 統計情報部 ・人口動態 ・保健統計課の データ
注:)( 11−1、国際結婚 ) 国際結婚する場合には、 戸籍以上に重要 なのが国籍です。その場合に注意すべき点は、 結婚と国籍とは直接関係がない ということです。従来は 夫婦国籍 同一主義 の考え方により、妻あるいは夫が国際結婚に伴い自分の国籍を離脱し、配偶者の国籍を取得することが法律により要求される国もありました。 しかしそれによって配偶者 ( 主として妻 ) に 二重国籍を生じたり、あるいは離婚により無国籍になる場合もあったので、1957 年の国連総会で、「 妻の国籍に関する条約 」が採択され、 夫婦国籍 独立主義 がとられ、妻の国籍は国際結婚などにより自動的に変更されることはなくなりつつあります。
日本人女性がたとえ夫婦国籍同一主義国の夫と結婚し、その国籍を得たとしても、直ちに 日本国籍が無くなるわけではありません 。ちなみに イギリスは 二重国籍を認めているので、イギリス人と結婚した日本人女性の 95 パーセント は日本国籍を保有し続け、離婚の危険に備えているそうです。 日本人と結婚し日本で暮らす欧米系外国人は自国の国籍のままの者が大部分であり、彼女/彼等たちによれば、結婚により永住権が与えられるので、日本国籍を取ることにより生じる メリット は、 日本の選挙権付与だけしかない そうです。 この点韓国では 帰化しない限り外国人定住者には 就労権が無く 、 ヨン 様に憧れ韓国人男性と結婚しても、亭主が病気で働けなくなれば、外国籍の妻は就労できずにたちまち生活が困窮します。それだけでなく外国籍を理由に 生活保護も受けられず、健康保健、年金加入も拒否されていますが、在日に対する日本政府の 厚遇ぶり と比較して下さい。 。 韓国に定住する日本人 ( ほとんどが韓国人の配偶者の女性 )のうち、2005 年から開始された地方参政権を与えられた者は 僅か 51 名 だそうですが、韓国は日本人定住者が頼みもしないのに地方参政権のみを与えています。その理由とは 60 万の在日 が地方参政権を要求するための、 互恵 ( ごけい、韓国が与えたから、日本も与えよ ) の口実にするためです。 かつて 在日の 四分の 一 は生活保護受給世帯 でしたが、日本で参政権が欲しければ 帰化すれば良い 、それがこの問題に対する単純明確な答です。
注:)国際結婚の場合は たとえ日本国内で暮らす場合であっても 、 40 パーセント前後の高い離婚率 を示しています。
[ 12:航空機内における出産 ]航空機内での出産は世界で毎年 2〜3 件報告されていますが、去年と今年 ( 2010 年 ) も太平洋 ・ オセアニア地区で下記の出産がありました。
( 12−1 )参考までに 2002 年から 2007 年までの間に、 ヨーロッパで飛行中に 医療上の緊急事態 ( Medical Emergency ) を宣言した航空機が 10,189 件ありました。それについて調査した結果によれば、航空機内での出産は僅か 2 件であったのに対して、機内での乗客の死亡が 52 件もあり、 出産よりも死亡が 26 倍も多かった ことが分かりました。
[ 13、機内出産と生まれた子の 国籍 ]国籍に関する考え方については前述したように 生地主義と 血統主義 という 二つの分け方がありますが、一部の国では領土 ・ 領海だけでなく、その国に登録された 航空機や船舶も自国の領土の 一部 とみなしています。オーストラリアの市民権に関する法律 (1986 年 3 月 13 日改正 ) によれば、
( オーストラリアに ) 登録された船舶又は航空機内で生まれた者は、当該船舶又は 航空機が登録された場所で生まれたもの とみなし−−−中略−−−第 10 条、オーストラリアにおいて生まれた者は、オーストラリア市民とする。という法律があるために、前述した アンセット航空の機内で生まれた子は オーストラリアの国籍と、日本人の母親から生まれたので日本国籍、父親が アメリカ人なので父親に 5 年以上 アメリカ本土またはその属領 ( グアム ・ 米領 サモアなど ) に居住歴があれば、アメリカ国籍が与えられ、 合計 三重国籍になります 。 さらに公海上ではなく、仮に フランスの領空で出産したとすれば、フランス国籍も与えられるので、その場合には 四重国籍 になります。 そのため国際線を飛ぶ航空機内で出産があった場合には、その事実と正確な出産時刻を航空日誌 ( Journey Log ) に記載し機長が 署名しますが、後日の国籍付与の重要な証拠になります。
![]() 一般に長距離を飛ぶ国内線や国際線の飛行機がどれほど高い高度 ( たとえば、高度 1 万 メートル、3 万 3 千 フィート 以上 ) を飛行しても、乗客の高山病 ( 酸素欠乏症 ) を防ぐために客室内の気圧は 高度 8 千 フィート ( 2,400 メートル ) か、 それ以下の気圧高度を保つように ジェット旅客機は設計されています。この高度は富士登山の際に バスターミナルのある 5 合目 付近の標高と同じですが、この高度では高山病になる危険性は通常ありません。
離陸した飛行機が上昇するに伴い客室内の気圧も低くなるので、耳の鼓膜の内側に閉じ込められていた地上の気圧が相対的に高くなり、鼓膜が 一時的に外側に膨らんだり、お腹の ガスが膨張したりします。 ここまでは正しいのですが 、それと同様に胎内 ( たいない、母親の腹の中 ) と客室との圧力差も大きくなるので、高空では赤ん坊が生まれ易くなる、つまり 産気 ( さんけ ) 付き易くなる のかも−−− ? ( ほんま かいな ? )。
平成 19 年 ( 2007 年 ) 11 月のこと、中東にある ヨルダンで家政婦 ( House maid ) の仕事をしていた 22 才の フィリピン女性 ジョリー ・ アン ( Jolie Ann ) が、出産のため フィリピンに帰る際に、ヨルダンの首都 アンマン ( Amman ) から、カタールの首都 ドーハ ( Doha ) 経由、 マニラ行きの カタール航空 ( Qatar Airways ) に搭乗したところ、ドーハに着陸前の機内で陣痛が始まり、客室乗務員と乗客の中にいた ヨルダン人医師の協力により、無事に出産しました。 カタール駐在 フィリピン大使館の報道官によれば母子ともに元気で、新生児は カタール ( Qatar ) にちなんで カタリーナ ( Qatarina ) と名付けられました。カタール航空は カタリーナに 生涯有効な無料搭乗の権利 を与える予定とのことでした。母子は一時的に ドーハ空港を出て市内の病院に入院しましたが、カタール航空の費用負担で 1 週間 ホテルに滞在した後に フィリピンに帰国しました。 フィリピンでは女性も男性も 「 より良い収入を求めて 」 海外への出稼ぎが有力な産業のひとつですが、カタリーナが成人した後に カタール航空を無料で利用できるとなると、その利点は大きいものです。ただし航空会社の倒産 ・ 合併など栄枯盛衰 ( えいこせいすい、栄えたり滅んだり ) の激しい航空業界で、カタール航空が 20 年後まで無事に存在していれば−−− の話ですが。
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