.

 

 あざみは、つないでいた手が突然強く握られたので、びっくりして梢を見上げた。
「どうかしたのっ?」
 梢は何も言わない。未国がすこし心配そうに眉をよせ、
「お姉さん、顔色がわるいのです。だいじょうぶですか?」
「あっ、車、車! よけろー!」
 葵が声をはりあげた。
 慌てて道の端へよけると、ぶおん、とすごい勢いで赤い色の車が走り去っていった。
「あんなんだったのか?」
 武が梢にきく。
 梢は、車にびっくりしてダンボールを落とし、思わずうさぎを逃がしてしまった、と言っていたからだ。
「あんまり広くないのに、あんなにスピードだしたらあぶないよ」
 優が憤然とした調子で言うと、緋琉亜が、
「ここ、歩道がないんだね」
 そんなことに気がついた。「うん」と優はうなずいて、ふと顔を曇らせる。
「うさぎ……平気かなあ」
 その台詞に、梢がびくりとしたのをあざみは感じた。見上げると、目にうっすらと涙を浮かべている。
 未国がきっ、と優を睨み、
「波くん! なんてこというですか!」
「ご、ごめん……。ただ、ぼく、うさぎが心配で……」
「それにしたってデリカシーというものが欠けているのです!」
「さ、寒河江さん、滝波くんもほら、悪気があったわけじゃないから……」
 緋琉亜がとまどった様子で、仲裁に入る。あざみも加勢することにした。
「そうだよ、みくにちゃん! それより、早く探しにいこうっ!」
「心配してんのはみんな一緒だからな」
 葵が一応年長者らしく、まとめようとする。
「お姉ちゃん、だいじょぶ、きっと見つかるよっ!」
 あざみはそう励ますと、「さ、行こっ」、手をひっぱった。
 が、梢は動かない。
「? どうしたの、行かな……」
 あざみはぎょっとして声を途切れさせた。
 顔をうつむき加減にして、梢が泣いていたからだ。
「ど、どうしたのっ?」
「気分でも悪いのか? 永島」
 武が声をかけると梢は首を横に振る。
「ぼ、ぼくがあんなこと言っちゃったから……」
 ごめんなさい、と優が謝ると、梢はますます首を振った。
 しゃくりあげ、それでもなんとか声をしぼり出す。
「ち、ちがう……の。……ごめんね、あやまらなきゃいけないのはわたしなの……」
「あやまる?」
「うさぎ……、探しても、だめ……」
「どうしてっ?」
 あざみが目を見開く。
「うさぎ、ね、わたし、かくしたの……」
 そう言った梢の瞳から、ぼたぼたっと、涙が落ちる。
「隠した……?」
 理解していない口調で武は単語を繰り返す。
 自分で口に出して、唐突にその意味が飲み込めた。叫ぶ。
「隠したっ?」
「だ、だって……」
「だってじゃないだろ! こんなことしてるの、誰のせいなんだよっ?」
 武の剣幕に、梢はかすかに身をひいたが、
「よ……吉野くんたちのせいでもあるんだからっ」
「なんだって?」
「だってそうじゃない!」
 梢は叫んだ。あざみたちが思わずその場に凍りつくほどの声。
「吉野くんたち、先に行ってろとか言って! どうせまたおもちゃやさんに行ったんでしょ、そのぐらい後でいけばいいのに! いっしょに行ってくれたら、こんなこと……っ。……こんな、こと……しなかったのに……」
 声が小さく、震えた。
 葵はちらっと横目で武を見た。口を真一文字に引き結び、押し黙っている。
 さっき、「用ってなんだよ」と追求したとき、決まり悪げに黙していたのはこのせいだったのだろう。
 武は葵の視線に気がついて、早口で言った。
「あいつら、塾あるっていうから……」
「だからなんでいっ?」
 葵が返すと、武は再び口をとざした。
 なにやら葵は気勢をそがれていた。大声を出すタイミングを武や梢にとられてしまったからだ。
 だから、ずいぶんと静かにたずねた。
「どうしてこんなことしたんでい?」
「……それは……」
 問われて、梢はあざみたちの顔を見回した。
 じっと自分を見ている4対の瞳。みな、戸惑っている。
「……ごめんなさ、い……」
 片手で梢は顔を覆う。
 あざみは、つないだ手を離すべきなのかどうか、迷った。



 梢はうさぎが好きだった。
 だから飼育委員になったのだし、毎日世話することは全然苦にはならなかった。
 夏休みも、当番じゃなくても毎日のように行くぐらいに。
 この春にこうさぎが産まれて、とても嬉しかった。
 でも、先生はあまりいい顔をしなかった。あんまりたくさんいると世話が大変だと。
 確かに、飼育小屋はそんなに広くないし、2ケタに近い数のうさぎを飼うには狭い、と梢もちょっと思った。
 でも、貰い手も見つからないし、このままなら小屋をすこし大きくしようか、という話が出た矢先。
 こうさぎをあげるところが見つかった、と言われた。
 どこに? ときいたら星火学園よ、という返事。
 その学校の名前は梢も知っていた。梢の通っている小学校からわりと近いのだ。
 そこの生徒とも何回か話したことがある。……あんまりいいイメージを、梢は持っていなかった。
 なんだかやたらといばって、市立に通う梢たちを馬鹿にしている感じがするのだ。同級生も、あまりいい印象を持っているひとがいなさそうだった。
(あんなところに、うさぎをあげるなんて……)
 嫌だ、と思った。先生にも言ったけれど、取り合ってもらえなかった。
 そんなことないわよ、だいじょうぶ。かわいがってくれるわ。
(どうしてわかるの!?)
 先生の言葉はとても無責任だと梢は思った。でも――止めることはできなかった。
 そして、あげることになって。
 届けに行くのに、先生は急に用事ができて、後から行くから、と言った。
 武たちは、あとで合流しよう、すぐ追いつくから、と、行ってしまった。
 腕の中には、うさぎが入ったダンボール。
 持っていると、ごそごそ、動いているのが伝わってくる。
(うさぎ……うちの学校のうさぎなのに……)
 ……持っていきたくない。
 逃がしてしまったことにしてしまおう。あげなくたって、平気。
 だって、きっと、きっと……。
「……そんなこと、気にしないだろう、って、思ったの……」
 梢は苦しそうに言った。
「こんな、ふうに、みんなで心配……する、なんて……思わなかった」
「……うさぎはどこに?」
 葵がたずねる。梢は「わたしの家」と答えた。
「ここの……すぐ、近くなの……」
「お姉ちゃん」
 呼ばれて梢は視線をすこし下げた。さっきからずっと手をつないでいる女の子だ。つないでいないほうの手をぎゅっと握りしめている。
「お姉ちゃんはうさぎ、大好きなんだね。あのね、でもね、あたしもうさぎ好きだよ。世話したことはないけど……でもっ、兄ちゃんも兄ちゃんのともだちもうさぎ好きなんだよっ! お姉ちゃんとおなじぐらい、きっと好きなんだよっ。だから……」
 だから、だいじょぶだから。
 なんだか出会ってから何度もこの言葉を、この女の子に言われているような気がする。
 梢はうなずいた。それから、言った。
「わたしの家に、一緒に取りに行ってくれる?」

 

>>NEXT