チャイムが鳴って、帰りの会が終わったらすぐに、教室を飛び出した。
 ばたばたばたばた。
 廊下を走っていたら、先生に睨まれた。
 しかし、睨まれるぐらいはどうってこともない。
「みくにちゃーん」
 ひょっこりH組に顔を出し、渡瀬あざみは大声で友達の名を呼んだ。
 その声に応じて、くるりと振り返り、
「あざみちゃん。どうしたんですか?」
 と、丁寧な言葉で返してきたのは、寒河江未国だ。
「あのねっ、葵兄ちゃんがねっ、うさぎにさわらせてくれるって! 行かない?」
「うさぎですか?」
 未国がすこし顔をほころばせる。
「うん、葵兄ちゃん、ええと……そう、しいく委員になったんだって!」
 部活や委員会は、4年生以上になるとやるようになる。
 3年生のあざみ達にはまだやや縁遠い。
 あざみは言う。
「それでねっ、あたらしいうさぎが今日くるんだって。まだちっちゃいらしいよ!」
「うわあ、それじゃあ子うさぎですね〜。行きたいです」
 未国がにっこり笑った。
「じゃあ決まりっ!」
 あざみも笑顔になった。
 未国が帰り支度を終えるのを待って、2人で廊下に出る。
 すると、
「あっ、みくにちゃんとあざみちゃん。今帰りなの?」
 声をかけられた。
 2人がそちらを見ると、そこにいたのは滝波優だった。
 未国の幼なじみの少年である。クラスはJ組だ。
「だったらなんだっていうんですか?」
 少々固めの口調で言う未国。
 えっ、と優はちょっと慌てたように口を開いた。
「もしそうなら、いっしょに帰ろうと思って……」
「そうですか。わたしたちはまだ帰りませんよ」
「たきなみくん、ヒマなの? だったらいっしょに行こうよっ」
 これからうさぎを触りに行く、ということをあざみが伝えると、
「うさぎかあ。ぼくも、行こうかな……」
 優はちらりと未国を見た。
「来たいのなら、くればいいです。波くんの自由です」
 未国は優を「波くん」と呼ぶ。
 つっけんどんながらも未国がそう言ったので、優は行くことにした。
 2人についていこうとして、ふと立ち止まり、
「そうだ、せっかくだから、野秋くんもさそってみよう。ええっと、先に行っててくれる?」
 飼育小屋のところに行けばいいんだよね、と確認する優にあざみはうなずいた。
 すると、今度は未国がふと思いついた様子で、
「そうです、たかみくらさんにも声をかけてみればよかったのです」
「それじゃあもどる?」
 あざみがそうきいたところへ、ちょうどその当人、鷹美倉結香が通りかかった。
「あ、たかみくらさん」
 未国が呼び止める。
「ちょうどよかったのです。あのですね、これからうさぎをさわらせてもらいに行くのですが、たかみくらさんもどうですか?」
「うさぎ……」
 ちょっと考え込むように、結香は首をかしげた。そして、残念そうな表情になって、
「今日は、姉さまたちと約束があるので……」
「そうですか、それじゃあ、また今度、いっしょに行きましょう」
「そうですね」
 結香はうなずいた。それから、にや〜と笑って、
「滝波くんは、さそったんですか〜?」
 と、言った。
「なな、なんでそこで波くんの名前がでてくるですかっ」
 なにやら慌てる未国をあざみはきょとんとして、結香はにやにやとして、眺めていた。

 

 あざみと未国は校庭に出た。
 飼育小屋は校庭の端のほうにあるからだ。門とは逆の方向で、どちらかといえば裏山や畑のほうに近い。
 裏山や畑は理科とか生活の時間で、たまに行くこともあり、小等部生にはわりとおなじみの場所であった。
 それでも、低学年の生徒はひとりでは行かないように、と言われてはいた。小等部側ではないが、廃洞窟だとかいろいろ危険そうな場所がある、という理由で。
 そう言われるとかえって行きたくなるもので、あざみなどはわりと遊んだりしているが、別にそういうところを見かけたことはなかった。
「あっ、あおい兄ちゃんだ。兄ちゃーん!」
 飼育小屋の近くに立っている兄を発見し、あざみはぶんぶんと手を振った。
「おう、来たか、あざみ。未国ちゃんも一緒か。こんちは」
「こんにちは、おひさしぶりです」
 未国はぺこりと頭をさげる。
 未国とあざみはお互いの家に遊びに行ったりしているので、それぞれの家族とも知り合いだった。
 あざみは今時めずらしい6人兄弟の末っ子で、1人っ子の未国にはちょっとうらやましい。
「また遊びにきなよ。人生ゲームやろうぜ、未国ちゃん」
 未国が夏休みに遊びに行った時、渡瀬家では人生ゲーム大会が催されたのである。
「そうですね。こんどは、勝ちたいです」
 未国が言うと、葵は「打倒! 柏兄!」と拳を固めた。
 渡瀬葵は5年D組。渡瀬家の第5子で、この間大勝ちした兄の柏に対して闘志を燃やしているようであった。
「あのね、兄ちゃん、あとふたりくるんだけど、だいじょぶだよねっ?」
「おう、そりゃ平気さ」
 葵は言った。
「ただ、まだ肝心のうさぎがいないけどな」
「え? いないの?」
 あざみが目を丸くして、飼育小屋を見やる。
 小屋の中は――からっぽだ。
 同じような行動をした未国は、ぽん、と手をうった。
「あ、そうです、今日くるってあざみちゃん言っていたのです。ということは、まだうさぎがきていないのですね」
「そっか。そうなの?」
 あざみもうなずいて、それから一応葵を見た。
「そうそう。でも、放課後くるって話だからな」
「どこからくるの?」
 あざみがたずねる。
 葵は近くの市立小学校の名前を口にした。
 もともと星火学園でもうさぎを飼っていたのだが、この夏に歳と暑さのせいで、ばたばたと死んでしまったのである。
 そこで、管理面などいろいろ取りざたされ、一時は飼育小屋取り潰しの話も出たようだったが、生徒の反対や一部の教員の努力もあって、残されることになった。
 ちょうど近くの市立小学校で、春にうさぎが生まれ数が増えて困っている、という話があり、そこからもらう、という話もついた。
「その小学校、雫ちゃんがいるところですね」
 未国が言い、「あっ、そうだねっ」とあざみも思い出す。
 雫というのは夏休みにお祭りに行った時、仲良くなった女の子である。
 元気かなあ、という話など2人がしていると、校舎のほうから誰かがやってきた。
「よう、新居。めずらしく遅ぇじゃねえか」
 葵が声をかける。新居、と呼ばれた少年はすこし笑って、
「先生、会議があって、遅れるってさ」
「へん、別に先生がいなくたって平気でい」
 葵が胸をはってみせる。少年はその様子にも笑いつつ、あざみたちのほうを見た。
「この子たちは?」
「はじめましてっ。渡瀬あざみですっ」
 葵が答えるより早く、あざみが返事をする。続いて、未国も頭をさげた。
「はじめまして、こんにちは、寒河江未国です」
「渡瀬……? じゃあ、渡瀬くんの妹なんだね。それと、お友達かな? こんにちは、僕は新居尚紀っていうんだ」
 よろしく、とやわらかく笑うのを見て、優しそうな兄ちゃんだなあ、とあざみは思った。
 尚紀は葵と同じく飼育委員で、クラスは違うが同学年だそうだ。
「こいつ、どの飼育委員よりもいっとう世話しててエライんだぜ」
 葵が言う。
「絶対、当番さぼらねえもんな」
「そうなのですか、すごいです」
「すごくなんかないよ、当たり前だよ、生き物なんだから」
 照れた様子で言って、尚紀は話題を変えた。
「ところで、むこうの小学校のひと、まだこないの?」
 うん、遅ぇよな、と葵が不機嫌そうに言う。
「そういえば、たきなみくんたちもおそいね」
 あざみが校舎のほうを見やる。未国も視線を向けた。
 こっちに来そうな人影は見えなかった。

 

>>NEXT