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 とある日曜日のことでした。
 巴萩乃は寮の部屋でぼんやりとテレビを眺めていました。
 1人部屋なので、チャンネル争いもありません。リモコンを手元に置いて、いろいろいじっていると、ぱっと画面が黄色くなりました。
「まあ」
 萩乃はすこし身をのりだしました。
『これでパセリを散らせばできあがりです』
 そんな声が流れてきて、映し出されたのは、ふわふわのオムレツです。
 食べると中からチーズがとろーり。
「美味しそうですわ……」
 チーズも玉子も、萩乃の好物。それが一緒になったチーズオムレツは大好物です。
 家にいたころはよくコックが作ってくれましたが、高校で寮に入ってからというもの、美味しい美味しいチーズオムレツには出会っていません。
 学食に行ってもあるのはオムライスなのです。
『それでは、材料と作り方のおさらいです』
 その言葉に萩乃は「そうですわ!」とひらめきました。
「自分で作ればいいんですわ〜!」
 寮の調理場は休日に使用してもいいことを、ちゃあんと知っていたのでした。
 料理などしたこともないのに、思いつきに萩乃は夢中です。画面に出た材料名を食い入るように見つめ、頭にたたきこみました。記憶力は小さいころから抜群です。
 覚えると、テレビを消し、かばんに財布をいれました。
 まずは材料を買ってこなくてはなりません。
 かばんを手にすると、早速、萩乃は出かけることにしました。



「なんだよ、こんな日曜に」
 萩乃に呼び出された狩谷東は、男子寮の玄関から出てきてそう言いました。
 それから、萩乃の格好を眺めやり、
「どこか行くのか」
「玉子が買えるところを教えて欲しいのですわ」
 萩乃は機嫌よく答えました。
 意気揚々、出てきたはいいのですが、萩乃は食料品の買い物などしたことがなかったのです。
 もちろん、スーパーの場所も知りません。
「……玉子?」
 東はすこし怪訝な顔つきになりました。
「なにするんだ、そんなの」
「チーズオムレツを作りますの」
「誰が」
「わたしが」
「無理だろ」
 あっさりと東は言いました。そこを黙ってうなずく萩乃ではありません。
「失礼ですわね! やってみなくてはわかりませんわ!」
「やってみなくてもわかることもあるだろう」
 食ってかかる萩乃にすっかり慣れきっている東はちっとも動じません。
「いいからやめとけ。金と材料が無駄になる」
「東には関係ないですわ!」
「…………」
 ふーっと東は全身で息をつきました。肩をいからせ、拳を握りしめている萩乃に、自分の意見など真っ当に通じるわけがありません。
 こうなったら、さっさとスーパーの場所を教えてしまうに限ります。
「玉子のほかにもなんか買うんだろうけど、スーパーで全部揃えられるはずだ」
 他の材料のたびにきかれるのもめんどうだと思った東はキッチリそう前置きして、萩乃に道のりを丹念に説明しはじめました。



 てくてくと東に教えられたとおり歩いてゆくと、やがてそれらしき店が見えてきました。
「……ここですわね」
 きっと、と付け加えました。いまいち確信がもてません。
 なぜかといえば、萩乃はスーパーの外観など知らないからです。
 それにどこにも「スーパーマーケット」という文字が見当たりません。
 ほんのすこし躊躇していると、
「どうしたの?」
 後ろから声をかけられました。
 振り返ると、そこには星火の制服を着た女生徒が立っていました。日曜なのに制服を着ているのは、なにか部活動があって登校してきたのでしょうか。
 萩乃は口を開きました。
「スーパーというのはこちらですの?」
 その女生徒は一瞬沈黙した後、「そうよ」とにっこりしました。
「お買い物?」
「ええ、そうなのですわ。玉子と生クリームとピザ用のチーズと、それとパセリを買うのです」
 話しながら、萩乃はスーパーの中へ女生徒と一緒に入って――立ち尽くしました。
「まあ……」
「どうかしたの?」
「どこになにがあるのかわかりませんわ……」
 すこし呆然とした様子の萩乃に、女生徒がやわらかな口調でたずねました。
「スーパーは初めてなのかしら?」
「そうなのですわ……」
「それじゃあ、よかったら一緒に回りましょう」
 女生徒はそう提案して、入り口付近に積み上げてあるプラスチックのカゴをふたつ、持ってきました。
 それをひとつ手渡され、萩乃はまじまじと眺めました。
「このカゴはなんですの?」
「これに買いたい品物を入れていくの」
 萩乃の質問に丁寧に答えてから、女生徒はためらいがちに、
「あの……もし違ったら、ごめんなさい。あなた、星火の学生?」
「そうですわ。この春から、星火の高等部に入学しましたの」
「高等部……」
 女生徒がこっそり反復したことには気がつかず、萩乃は続けました。
「1年A組の、巴萩乃と申します」
「わたしは3年E組の山上雪花です。それじゃあ、買い物、始めましょうか」
 こうして頼もしい味方を得た萩乃は、苦労も寄り道もすることなく材料を買い揃えることができたのでした。



 寮へ帰ってきた萩乃は、調理場へと足を向けました。
 さあ、ついに料理です。
「まず……卵白と卵黄に玉子を分けるのでしたわ」
 テレビで言っていた説明を、萩乃は口に出して確認しました。
 卵白と卵黄の違いは萩乃も知っています。
 玉子のパックをスーパーの袋から取り出し、パックを開けました。玉子を手にとり、
「……どうやって割るのでしょう」
 しばし見つめました。
「どこかにぶつけたら、割れますわね、きっと」
 そこで、テーブルの角にぶつけてみると、べしゃっと音がして玉子が中から流れ出してきました。
 慌ててお皿を棚から出して、そこに玉子をのせると、割れた殻の隙間から黄身と白身がいっしょくたになったものがあふれでてきています。
 これでは駄目です。
 萩乃はもう一度チャレンジすることにしました。
 もう一度。
 もう一度。
 もう一度……。
 繰り返し失敗しているうち、玉子がなくなってしまいました。
 手もお皿もテーブルも、どろどろです。
『材料が無駄になる』
 東に言われたことが頭の中でリフレインされました。
「そんなことありませんわ!」
 萩乃は思い出しただけでムッとなり、
「失敗は成功のもとですわ。そうですわ。明日、玉子の割り方をどなたかに教わればいいのですわ」
 クラスメイトの顔や、さきほどスーパーで知り合った雪花の顔を思い浮かべ、萩乃は力強く決意したのでした。
「また、玉子を買いますわ!」


 萩乃のお料理への道は、険しい。