雨 音


  

  雨の音がきこえる。

 昨日の天気予報では確率80%だった。

 肌寒い。

 あたしたちは黒と白の中に沈んでいる。来る人来る人、皆黒い――喪服。制服の白いシャツが場違いのように思えてくる。

 でも夏服だからしかたがない。

 隣に座っているあんずは、ぼんやりと来る人達を眺めている。正座なんてあまり得意ではなかったはずだけど、足をくずす気配はなかった。そんなことにまで神経がいってないのかもしれない。

「栗ちゃん、杏ちゃん」

 真っ赤にはらした目をしきりにハンカチでおさえながら、母さんのパート仲間のおばさんが湿った声で。

「こんなことにねえ……ほんとに……かわいそうにねえ、ふたりとも……」

 ……あたしたちはなにか返事をしただろうか?

 ただ儀式のように頭をさげたことは、おぼろげに覚えている。

 誰が来たか、なんてわかっちゃいなかった。

 親戚の人と、母さんの知り合い、それにあたしたちのクラスメイトとかそんなかんじだったと思うのだけれど。



 母さんは交通事故にあった。

 学校から病院へ駆けつけたときには、もう、息がなかった。

 どうやって家に帰っただろう。

 台所に、作りかけのケーキがポツリと残されていた。

 まだ、なんの飾りもないスポンジケーキ。

 それを眺めていたら泣きたくなった。

「くりちゃん……」

 あんずの顔がゆがんでいる。あたしも、たぶん同じ表情をしている。


 ――あたしたちは、この日、15歳になった。




 シンゾクカイギ、なんて言葉をあたしは初めてきいた。おまけに、

「これはね、大人の問題だから」

 なんていって、居間から追い出されてしまった。どう考えたって、話の内容はあたしたちのこれからの扱いだ。だったらこれは 「あたしたちの」 問題のはずだった。

 でも……あえて居心地の悪いところへいる気にもなれない。

 どっちにしろ、ふすま1枚へだてたところで声はほとんど丸ぎこえに近かった。朝からずっとやまない雨が、すこしだけ穏やかな心持ちにしてくれる。

「……また、お父さんの話、してるねえ」

 あんずがひざをかかえて、そんなことをいった。「いつものことだよ」 と、あたしは応じている。

 あたしたちの父親は写真家で、世界中を駆け回っているような人だった。もともと年に数えるほどしか会えなかったけれど、4年前からは1度も会っていない。行方知れずになったからだ。

 母さんは 「昔もこんなことがあった」 と、あっさりいって、親戚のおばさんたちの親切ごかしの言葉や近所での根拠のないウワサも穏やかな笑顔でのりきっていた。

 唯一、怒ったのは、あたしとあんずがそのせいでクラスメイトに嫌がらせをされたときだ。あたしたちは余計な心配かけたくなかったからなにも言うつもりはなかったけれど、どろどろに汚れた靴だとか、傷が増えていくカバンだとかはごまかしようがなかったのだ。

 ……それにしても、隣の部屋ではいつ本題にはいるんだろう。

 まあ結論は――だいたい予想がつくけれど。

 あたしたちを誰かがひきとる。ただし、ふたりいっぺんには無理だから、バラバラで。

 父親がいなくなった時、しきりに 「女手ひとつでふたりは大変だから、ひとりをどうにかしたら」 と、親切に忠告してくれたような人達だ。たぶん、そんな風になるだろう。

 ふと、顔をあげたら、あんずと目があった。

「……くりちゃんと、離れて暮らすの、いやだなあ……」

 おなじことを考えてる。

「…………そうだね」

 同意してから、あたしはあることを思いついた。立ちあがって、カバンにいれっぱなしだった大きめの封筒をひっぱり出す。あんずが不思議そうな声で、

「なあに、それ?」

「高校の志望校のパンフ」

 封筒をさかさまにしながら、答える。バサバサッと床にパンフレットが散らばった。

「あんず、寮のある学校に行こ。そうしたら、あたしたち親戚のとこでバラバラに暮らさなくても平気だよ」

「寮? でもくりちゃん、それって私立じゃないの? お金……」

「大丈夫。奨学生制度があるから」

 実際のところは順序が逆だ。あたしは私立なら奨学生制度があるところを探していた。それでさらに寮がある、という高校が、確か、あったはず。

「えーと……あ、ここだ、この学校」

 お目当てのパンフレットを見つけたので、他のは横へよかせてあいた場所に広げる。あんずが興味深げにのぞきこんできた。

「んーと……セイカガクエン……? あ、ほんとだ〜、寮と奨学生制度……でもー、あたし、くりちゃんみたいに頭良くないからなあ……奨学生って審査とかあるんだよねえ?」

「まあ……でも、あんずがちゃんと行く気があるなら、一緒に勉強すればいいよ。……あと、この学校、遠いから中学のみんなとはあんまり会えなくなるけど……」

 あたしがそういうと、あんずはすこしだけ沈黙した。

 だけどすぐに瞳をまっすぐあたしにむけて、宣言した。

「あたし、がんばる。がんばってここに行って、あたらしい友達もつくるっ」

「うん、じゃあ学校に行ったら先生にいおう」

 ……正直なところ、あんずはともかくとしても、あたしはあんまり中学……というよりはこの土地自体に未練がなかった。いい思い出がないわけではないけれど――その逆の出来事のほうが多すぎる。

 未練が、あるとすれば……。

「……母さんには、ちゃんと毎年、会いにこようね」

 あたしの言葉にこっくりうなずくあんず。

 いつのまにか、外の雨音が激しくなっていて、隣の部屋の会話もまったくきこえなくなっていた。

 でも、もうどんな話でも関係ない。あたしたちはあたしたちの結論をだしたのだから。



   おわり  

 

 

 

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