渡瀬あやめが1年C組の扉わきでボンヤリ立っていると、パサッと足元に落ちてきたものがあった。
 ベレー帽だ。 
  あやめが今年から通うここ、星火学園高等部では正装の場合、シャツとブレザー、スカートに加えてネクタイ、ベレー帽を必ず着用しなくてはならない。 
  今日は入学式当日。 
  ということでもちろん正装なのだが、どうもベレー帽というものは格好よくかぶろうとすると落ちやすい代物のようだ。 
 「ねえ、ちょっと」 
  目の前を通り過ぎていった人物に声をかけつつ、あやめはベレー帽に手をのばした。 
 「これ。落とし物」 
  拾いあげ、顔を正面へ向けると同じ顔がふたつ並んでいた。 
  やわらかそうなショートの髪だとか背丈だとか肩の広さとか、そういったものまでうりふたつだ。あやめにまっすぐ向けられた瞳も。 
  その2人のうちの片方――ベレー帽をかぶっていないほう――が、口を開いた。
 「あ、ありがとう〜。拾ってくれてー。これねえ、あたしがかぶるとすぐ落ちちゃうんだよねえ」 
  おっとりとした口調。 
  ベレー帽を渡しつつ、もう1人の子もこんな調子なんだろうかとあやめが思っていると、 
 「あんずはあさくかぶりすぎなの」 
  ほとんど同じ声がそういった。口調は――普通だ。
 「ええー、そうかなあ……だって、深くかぶったらヘンでしょお」 
 「だから、ちょうどよくかぶりなよ。そうそう……あ、それはヘン」 
 「ううー」 
  ごちゃごちゃいいながら、ベレー帽をなんとかかぶった女の子はあやめのほうを見てきた。 
 「ねえ、C組なの〜?」 
  その問いにあやめがうなずくと、 
 「そうかあ、じゃあ同じクラスだよねえ。あたしねえ、楠木杏っていうのー。こっちはくりちゃんだよー。よろしくねえ」 
 「……あたしは渡瀬あやめ。よろしく」
  ほとんど義理のような感じで自己紹介をする。 
  楠木杏はさらに何か言いかけたが、担任教師の 「整列―」 の声で栗につつかれて、「じゃあねえ」 と前のほうへ行ってしまった。
   アイウエオ順で並ぶのだから、『わたらせ』 と 『くすのき』 など絶対前後になるはずもない。 
 (入学式か……かったるいねえ)
   あやめはくーっとあくびをかみ殺した。

 

 ☆ 

 

  予想通り、入学式などおもしろくもなかった。
 (式典なんてどれも似たようなもんね、ホント) 
  楠木栗はそんなことを思いながら、横目で杏を見やった。 
  案の定、寝ている。 
  またベレー帽が落ちそうだが、まさか直してやるわけにもいかない。 
  皆、硬いイスに座って身動きなどほとんどしていないのだ。 
 (退屈……)
   いっそのこと自分も寝てしまおうかと思いつつ栗が壇上に視線を戻すと、ちょうどどこかのお偉いさんの祝辞が終わったところだった。 
  拍手がまばらにおきかけたところで、「礼っ」という号令。 
  タイミングが悪い。 
  進行役でこういった式の流れが左右されるというのに、いまいち手慣れた感じがしない。ますます栗は退屈な気分になった。 
 「新入生挨拶、新入生代表1年E組、九条遠哉」 
  ざらりとした声に、「はい」と涼やかな声が応じた。 
  壇上に物おじもせずのぼっていったのは、短髪ですっきりとした顔立ちの男子生徒だった。新入生だというのに星火の制服――男子はズボン、そしてブレザーの下にタートル、というちょっとめずらしい組み合わせ――が似合っている。
 (代表ってことは優等生くんなのかな……? それとも星火学園だったら、家柄とかにも左右されちゃったりして。え……っと、くじょうとおや、とかいったっけ……いかにもーな名前)
   いささかラチもないことを考えている栗の後ろでヒソヒソしゃべる声。 
 「ねねっ、あの男の子、ちょっとカッコイイと思わない?」 
 「え、ウソ、ちょっとまって、顔見えない」 
  当たり前だ、こちらに背を向けてしゃべっているのだから。 
 (……入学式からこんな話題とはね……)
  栗は少し苦笑した。 
  星火学園というところはもっとオカタイのかと思っていたが、たとえ器がそうだとしても中身もそうだとは限らない。 
 (まあね、お坊ちゃまお嬢ちゃまばかりじゃ、どうしようもないよね。気楽に普通が1番か……)
   普通どころか非常にクセのある学園だと楠木栗が知るのは、そう先のことでもなかった。 

 

 ☆ 

 

  「楠木さんって、どこに住んでるの?」
   楠木杏の顔を見てそう言ってきたのは、たまたま席が隣になった女の子だ。杏はというと、クラス内で自己紹介をしたにもかかわらず、その子の名前を覚えていなかった。 
 「えっとねえ、寮に住んでるの〜」 
 「へー! 寮生なんだ、めずらしいね! 地元じゃないんだ?」 
 「うん、そうなのー」 
 「ふーん……。ね、部活とかなに入るとか決めた?」 
 「えっとー、美術部なんていいかなあって思ってるんだけどー」 
  杏がそう答えると、その子はちょっと興味がなくなったような表情になり、 
 「あ、そうなんだ。絵とか描くの好きなの?」 
 「うんー」 
 「ふーん、いいよねえ、そーゆうのできるのって」 
  それで話は終わりのようだった。 
  その子が違う子に話しかけるのを杏がなんとなく眺めていると、後ろから肩をたたかれた。 
  振り向くと、カバンを持ってすっかり帰り支度を整えた栗の姿。 
 「あんず、HRも終わったことだし、帰ろっか?」 
 「あのねえ、くりちゃん、あたし、学校の中歩いてみたいなあ」 
 「そりゃいいけど……今日なんて部活なんかの勧誘がすごそうなんだけど……あ、そっか。あんずは美術部かなんかに入りたいんだっけ?」 
  そうなのー、とうなずきながら、杏はカバンの中に物を入れはじめる。ふでばこ、メモ帳、今日もらったプリント類……。
 「くりちゃんはー? なんかやらないのー?」 
 「うーん……まあ、なんかいいのがあったらね。さ、支度できた?」 
 「できたよお」 
  杏は応じて立ちあがると、栗と一緒に教室の外へ出た。 

 

 

  星火学園はとにかくバカでかい所で高等部だけでも生徒数はかなりのものだから、部活や同好会なぞ誰が把握できるのか疑問に思えるほどの数……らしい。
  すくなくとも、あやめはそう認識している。 
  そして、あやめが所属を決めた部は非常にマイナーな所であった。しかし、中等部にいた頃から入部しているのと同じだったので、いまさらどうとも思わない。 
  探偵部。 
  そこがあやめの入った部の名称である。 
  構成部員の顔はあやめのような受付担当者以外極秘、というかなりアヤシイ部だ。当然、おおっぴらな勧誘活動なんぞしておらず、他の部に比べても閑散とした状態だった。 
  入学式からこんなとこへくるのもいなかろう、とあやめが帰りかけたところへ、 
 「あのーう」 
  と、声がかかった。見ると、そこにいたのは知った顔。 
 「あれ? あんたぁ……」
  朝に会った双子の片割れだ。むこうも驚いたらしく、すこし目をまるくして、 
 「あれー? えっとえっとー……あー、そうだ、あやめちゃん、だよねえ」
 「……名前を呼ばれるほど、親しくした覚えはないんだがね、楠木さん」 
 「あ、気を悪くしたんなら、ごめんなさいー」 
  楠木杏(だとあやめは判断した)は、ぺこりと頭をさげた。そのあと、ちょっと首をかしげて、 
 「でもねえ、あたしねえ、あやめちゃんってすごーくキレイな名前だなあって思って覚えてたんだー。だからえっと苗字のほうはあ……えーとえーと……わ。 そうだ、『わ』がついたよねえ? わ。わ、わ、わ、わ……」 
 「渡瀬」 
  あまりの悩みぶりに、あやめは正解を言ってしまった。杏は嬉しそうにわらって、 
 「わたらせ。そっかあ、そうだよねえ、うんー。でも、あやめちゃんはあやめちゃんって感じがするからあやめちゃんって呼んだらダメかなあ?」 
 「……謎の理屈だねえ」
   しかし、杏が言うとなんとなく納得させられてしまう気になる。 
 「じゃあ、あんた、あたしと仲良くしようってえ気があるのかい?」 
  おもいっきり含みをもたせて言った台詞だったが、杏はあっさりとうなずいた。 
 「うんー。よろしくねえ、あやめちゃん」 
  あやめはとりあえず 「ああ」 と、うなずいて、話を変えた。 
 「……で? ここになんか用かい?」
   まさか探偵部にはいろうってわけじゃあるまいね。 
  一瞬、そんな不安めいたものがあやめの頭の中をよぎる。しかし、幸いなことに(?)杏はこう言った。 
 「あのねえ、あたし、くりちゃんとはぐれちゃったのー」 
 「……迷子かい……?」 
 「うーん、そうなるのかなあ、やっぱり……。あっ、でもねえ、なりたくてなったわけじゃあないんだよお」
  杏はのんびりと説明をはじめた。 
  要するに彼女たち楠木姉妹は、とある部室を目指していたようなのだが、その目的地が部室棟の奥地だったがために勧誘の嵐にまきこまれてしまったらしい。 
 「んじゃあ、その部に行きゃ会えんじゃないのかい?」 
 「そーなんだけどー……」 
  いろんな所へひっぱりまわされて、すっかり方向感覚が失われてしまったのだろう。言いよどんだ杏に、あやめはため息をついた。 
  放送室にでも連れて行って迷子のお知らせでもしたほうがいい気もしたが、こんなにぎやかな日に放送がきこえるか疑問である。それに、放送室へ行くのも一苦労だ。 
  あやめはカバンからめがねをとりだしてきてかけると、 
 「しかたないねえ、あんた、依頼するかい? あんたの片割れ捜し」 
 「え? 一緒にさがしてくれるのー、あやめちゃん」 
 「依頼料は現金かあなたの情報をひとつ、いただきます」 
  あやめが探偵部お決まりの台詞を厳かにいうと、杏はすこし沈黙した。 
  怒ったのかと思いきや、彼女は困りきった顔で、 
 「えっとねえ、今日、おサイフないんだけどー、それって後払いでもいーのかなあ?」 
 「……あんた、払う気かい?」
 「あっ、あんまり高くちゃむりだよお? うん、でも……あやめちゃんは探偵さんなんでしょー。だったらちゃんとしないとねえ」 
  おっとりとそんなことを言う杏をあやめは少々あっけにとられて眺めていたが、ふいに口の端をあげて胸をたたき、 
 「よっしゃ、あんたのその依頼、この渡瀬あやめがひきうけた! ……本当は、あたしぁ受付役だから仕事はしないんだけどさ、ま、この場合、面が割れててもどってこたあないからねえ」
 「わあい、ありがとう、あやめちゃんー」 
 「なに、こんなのぁ、仕事のうちにはいりゃしないのさ。だから依頼料は……そうだね、明日の昼に茶の1杯でもおごっとくれ」 
  あやめがめがねをはずしながらそう要求すると。 
 「じゃあ、明日からお昼一緒にたべよーねえ」 
  ……ということになって、あやめは入学式早々から昼休みの居所が決定してしまったのだった。  

 

 

   パカッ、と下駄箱のふたをあけると、そこにはちゃんと黒い革靴がおさまっていた。
 「ということは、まだ校内にいるわけね……」 
  杏の下駄箱のふたをゆっくりと離して、楠木栗はつぶやいた。 
  部室棟ではぐれたものの、美術部の部室で待っていれば杏がくるとは栗には思えなかった。道をたずねようと話しかけると、すごい勢いで違う場所へつれていかれる始末なのだから。 
 (あんずが運良く美術部の人に話しかけてたら話は別だけど……そんなの無理だろうなあ……) 
  きいたところ(きかされたところ)によれば、美術部は今、なにやら不祥事を起こしたとかで廃部寸前、部員もみなユーレイ部員なのだそうだ。
 「だからそんなとこやめてウチの部に入らない?」
と勧誘されたのだが……。  とにかく、そんなところが勧誘をしているとは考えられない。 
  一応、部室らしき所へ行ってみたものの、鍵がかかっていてあかなかったのだ。 
 (ま、もうすこし捜してみて……イザとなったらこのへんで待ってたっていいんだし) 
  そう結論をだすと、栗は部室棟への渡り廊下にむかって歩き出した。そして、角を曲がろうとして――
 「……あの、いないんですよね、好きな人……」
 「いませんが……」 
  話し声がするのに気がついた。どうやら行く手で誰かがなにやらトリコミ中の様子である。 
 (……いくら放課後、人がいないからってこんな廊下ですることもないんじゃないの?) 
  栗は意味もなく、髪を手ですいた。さすがに通り抜けづらい。かといって、こんなとこに立ってるのも気がひける。 
 (でも、迂回すんのもめんどくさいなー) 
  いいかげん、歩き回ってつかれているのだ。 
  不粋を承知で、通り抜けてしまえっ! と栗が足を踏み出しかけた時。 
 「あなたのお気持ちはとても有り難いのですが、僕も今日ここに入学したばかりで……そのような事を考える余裕がないのです」
 「あ……そうだよね。ごめんなさい」 
  沈黙。 
  栗は男のほうの言葉をきいて腹を立て、女のほうの応答を耳にして、思わず力が抜けて壁に手をついた。
 (なんで謝るかな……嫌味をいわれて) 
  涼しげでやわらかな口調ではあったが、奥に嘲りめいたものがひそんでいたのだ。 
  気がつかなかったのか、それともなにも言わないのが惚れた者の弱み、とかいうものなのか。 
 (まあ……どうでもいいけどね) 
  とにかく早くおわってくれないかな、と思っていると、再び声がきこえた。 
 「それでは申し訳ないのですが、そういう事ですので……」
 「ううん、あの、ほんとにごめんね。用があるのによびとめちゃって……。あの、でも、そしたら友達にはなってくれる?」
  「……よろこんで」
  「あ、ありがとう。それじゃ、あたし、これで……っ」 
  また明日ね、九条くん! 
  言い残し、バタバタッと1人分の足音が遠のいていく。  どうやら女の子のほうが走り去っていったようだ。 
 (……くじょう……? どっかできいた名前……) 
  考えながら今度は遠慮なく角を曲がった栗に、小さなつぶやきがぶつかってきた。 
 「友達だと? は、馬鹿馬鹿しい……」 
  栗はムッとしたのが自分でわかった。 
  一瞬遅れて、バチッと目が合う。 
  このまま目をそらすのはなにやらひどくしゃくに思えて、栗は口を開いた。 
 「……とんだ新入生代表ね……」
 「……あなたにそのようなことを言われる筋合いはありませんが」 
  交わした言葉はそれだけだった。1人は部室棟へ、1人は昇降口へと、それぞれ歩き出していた。

 

 ☆

 

 「あ、あそこにいるの、あんたの片割れじゃないのかい?」 
  隣を歩いていたあやめが前方を指差したので、杏はそちらを眺めた。 
 「あー、ほんとだあ。くりちゃーん、くりちゃーん」 
  呼びながらぶんぶんと手を振ると、それに気がついた栗が人ごみをかきわけて駆け寄ってきた。 
 「あんず! こんなとこにいたの? 捜したんだよ」 
 「うんー。ごめんねえ、くりちゃん。でもねえ、おかげであやめちゃんと友達になったのー」 
  あやめちゃん? と栗は杏の隣にいるあやめを見た。ふっと考える顔つきになったがすぐに、 
 「ああ、えっと、渡瀬さん、だよね。あんずがお世話になったみたいでどうもありがとう」 
 「いや、仕事なんでね」 
 「仕事?」 
  けげんそうな栗に杏が、 
 「あのねえ、あやめちゃんはねえ、探偵部なんだよお、くりちゃん。だから捜すの手伝ってもらったの〜」 
 「探偵部?」 
  ますますけげんそうな表情になる栗。 
 「そうなのー。それでねえ、お礼に明日からお昼一緒に食べるんだよお」 
 「……それ、お礼になるの?」
 「いや、お茶でも1杯ごちそうしてくんないかって話さ」 
  あやめに横からそう言われ、「あ、そういうこと」 と、とりあえず栗は納得したようだった。 
 「それでねー、くりちゃん。あやめちゃんってねえ、なんでもよく知っててね、 美術部のことも教えてくれたのー。なんかねえ、今はとても活動できる状態じゃあないんだってー」 
 「うん、そうらしいね。あたしもきいた」 
  どうするの、ときかれて、杏は考えをそのまま口にした。 
 「うーんとうーんと、美術部しか考えてなかったよお」 
 「んじゃ、今日は帰っちまったらどうだい」 
  腕組みをしたあやめがスパッと言った。 
 「どうせ1週間はこんな勧誘の日々さ。明日になりゃ部活案内のパンフも配られるはずだしね。なにも無理に決めっちまうこたあないんじゃないのかい?」 
 「渡瀬さんの言うとおりかも。とりあえず、かえろっか、あんず」 
  栗の言葉に 「うん」 とうなずいて、杏はあやめを見上げた。 
 「あやめちゃんも、かえるなら途中まで一緒にいこー」 
 「ああ、あたしはハナっからそのつもりだったさ」 
  と、あやめは双子を眺めた。 
 (こんな短いつきあいだってえのにねえ) 
  今朝のようにふたりが同じ顔だとは、もうとても思えそうになかった。 

 


☆おわり☆ 

2000.2.12 〜 2000.2.16 ? 

 

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