「おじいちゃん。ぼうけんってどこにいけばできゆにゃ?」
舌足らずな声で、孫娘がそう聞いてきた。
「冒険?」
「うん!」
元気よくうなづくと、ゴムひもで結わえた二つのおさげが、頭の後ろで大きく揺れる。
そして天頂の部分には猫耳の飾りがついたカチューシャが乗っていた。これで髭が三本、鼻の横に描いてあったなら悪のりであろうが、幸いにしてそれはなかった。
夏の暑い日、軒先に植えた朝顔に水をやっていると、近くに住む僕の娘がこの三歳になる孫娘といっしょに遊びにやってきたのである。
定年退職した僕は、とりあえず半年ばかり自由な時間を満喫しようと、この東京郊外にある自宅で妻と二人、悠悠自適に暮らしていた。
一姫二太郎で出来た二人の子供たちは、皆独立してそれぞれの家庭を築いている。二太郎である長男は、ロケット打ち上げに携わりたいという僕の夢(残念ながら僕はできなかった)を継いで、今は種子島に住み込みの単身赴任中だ。
一方の長女は有明で開かれるイベントで、今の亭主を引っ掛けて家庭を築いていた。
今、僕が住んでいる一軒家には、僕や子供達が購入し、押し込んだ、いわゆる『蔵書』が山のように、それこそ図書館のように整理されて収まっている。率からいくと僕が六、娘が三、息子が一といったところだ。ちなみに子供達の書物だが、多分に僕の影響が出ているのが見て取れた。
なんともまっすぐ(?)に育ってくれたもだと感心することしきり。だが、そこはかとなくうれしいような、うれしくないような・・・。
もちろん、呆れかえっている家内がいることを付け加えておこう。
さて、娘が引っ掛けてきたという婿殿だが、やっぱりそっち方面の人間であるため、なにかと僕と意見の一致をみる所が多々あった。
したがって孫娘の頭に乗っているものと、猫語とも取れる語尾。そして家庭環境から、最近公開された某映画を一緒になって見に行ったのだろうことは、容易に推察することができた。
なるほど。あの青年なら、
「今時の子供には、冒険の出来る環境がないんだよなァ」
とか
「俺が子供の時分は・・・」
などと孫娘の前で言ったに違いない。
大人のすることはなんでも真似したがる年頃の孫だ。ひどく「冒険させて」とせがんだに違いない。
そして困り果てた両親(主に娘)が、僕のところに連れてきたのだろう。
当たらずとも遠からじな推論を立てたところで、目に入れても痛くない孫娘に視線を戻す。
そこにはひどく期待に満ち満ちた眼が、爛々と輝いていた。
こんな目をされては、大半の爺婆は何とかしてやりたい気持ちになるに違いない。例に漏れず、この僕もそうだ。
さてどうしたものか・・・。
僕はこの難問に首をひねってしまった。
二一世紀初頭とはいえ、木登りをするような子供たちなどついぞ見ることがなくなった。いや、そもそも木登りが出来る木が近所にあっただろうか? 幹が細くてとても木登りに向かないものは別としても、軒並み酸性雨にやられるか、危険防止用の柵が張られて、木登りなど出来そうもないのがほとんどの筈だ。
ましてや、今の子供たちが『秘密基地』を作る場所を持っているのかもあやしく思える。そんな時代に、『冒険』と言える体験が出来るのだろうか?
四国の四万十川のあたりならまだまだ自然が豊富にあって、昆虫採集や川魚の掴み取りなんて容易にできるだろう。しかし如何せん遠すぎる。多摩川や江戸川でも、ちょっと頑張ればカヌーだとかを覚えて川下りが出来るだろう。しかし三歳の子供にはハードルが高すぎるし、娘夫婦が首を縦に振るはずもない。それよりなにより、経験者なんて身内に一人もいなかったはずだ。
「おじいちゃん? ポンポンいたいの?」
あれやこれやと考え込んでいたら、どうにも苦い顔をしてうなっていたらしい。孫娘が心配そうな顔を作って、僕のズボンのすそをギュッと握り締めて見上げていた。
とりあえず、牽制を打ってみることにしよう。
「どんな冒険をしたいんだい?」
優しく聞いてみると、案の定、
「ネコさんのじむしょにいきたいの」
と答えが返ってくる。
「あとねあとね、カラスさんにものりたいのぉっ!」
映画のワンシーンを思い出しているのか、両手を広げて綱渡りのような仕種をする孫を見て、僕は天を仰いでしまった。間違いなく『あの映画』を見に行ったのだ。
さて困った。
ネコバスに乗りたいとでも言うのなら、三鷹に散歩に連れて行けば良いのだが、カラスの背に乗るようなアトラクションなどなかったはずだ。
ちょっと興味が湧いて作り出したネコ紳士の人形ならば、なんとかできるかもしれない。もっとも完成はまだまだ先の話で、ネコのような虹彩を持つガラス玉を見つけるのには、それはもう手間取った。だがそれを埋め込んで作りはじめた紙粘土は、頭の形をなさず、ジャガイモみたいな歪な形のままだ。G・Iジョーのような動く人形(頭なし)を見つけたときは、これは! と思ったものだが、落ち着いて見てみると少々筋肉質だ。そもそも『彼』はこんな段々畑のような腹筋は持っていないだろう。いま少しスマートな物がないか探さないといけない。服などは、ボディーがないことには寸法が取れるはずもないわけで・・・。
脱線しすぎた。話を元に戻そう。
そうした僕の趣味趣向を見越して(人形を作っているとは終ぞ話してはいないのだが)、多分娘は孫を僕のところにつれてきたのだろう・・・。
そこまで考えてはたと首をめぐらすと、愚娘が苦笑いを浮かべ、両の手を顔の前で合わせているのが目に入った。
・・困ったもんだ。
とりあえず晩酌の肴でも期待しておくことにしよう。
しかしどうしたものか・・・。
「ん〜。ちぃちゃん(孫娘の名だ)は猫さんがたくさん集まってるところを見たことがあるかい?」
少し悩んだが、空想力は人よりは一枚上手と自負している頭を総動員して思い浮かべたアイデアを、聞かせることにした。
案の定、孫は「にゃーい」と紅葉の様な小さな手を広げ、万歳しながら答えてきた。
その答えに満足そうにしながら、僕は話を続けることにした。
「猫さんがたくさん集まってるところはねぇ、猫さんたちがいろーんなことをお話しているんだよ。
あそこのお家にはおっかない犬がいるぞぅ!
あそこのおばあちゃんは、いつもご飯をくれる。
あれ? 三毛猫のスーさんはどうしたの?
ああ。スーさんなら飼い主が引っ越すってんで連れてかれたんだよ」
僕は色々と声色を代え、仕種を交え、数通りの猫の物まねをする。気づかれないように孫を盗み見すると興味津々という顔でこちらを見ているじゃないか。よしよし。
「でも話すことがなくなったり、お腹が空いたりすると、それじゃまた明日ってみんな散り散り帰っていく。
さあ、ここからが重要だよ。
その中から一匹だけ、様子の違う猫さんを見つけるんだ。耳をピクピク動かしてるとか、髭が伸びたり縮んだりとかさせてる、とにかく様子の違う猫さんだ。その猫さんだけが、猫さんの事務所へ連れて行ってくれるんだ」
「ママとみたときと、ちがうねぇ?」
「うん? ああ、映画の話か。そうあれは特別。
猫の王様が住んでいる世界に行くには、自分で二本の足で立って歩く猫を見つけなくちゃいけないって決まりがあるんだ。
ちぃちゃんがママと見たのは、特別に二本足で歩ける猫がそこにいますよって、こっそり教えてもらったからさ」
口から出任せとはいえ、よくもまあ口先三寸でつじつま合せが出来たものだと、自分自身でもびっくりだ。でも、お陰で孫は僕の話にすっかり夢中になっている。
「猫を見つけたら、そっと後を尽いていくんだ。
足音を立てちゃダメだよ。猫がびっくりして逃げちゃうからね。
でもしばらくすると、猫がこっちを振り返ってくる。その時、透かさずお呪いを唱えるんだ」
その後も、僕のホラ話は続いた。
曰く、お呪いを間違えはだめ。
曰く、猫が壁や塀を乗り越えてしまった時は、連れて行けないと断られたのだ。猫は気分屋だから、嫌われたんだ。でも次に会った時は、連れて行ってくれるかもしれない。
曰く、お呪いは全部で二十もある。etc、etc・・・
さすがに二十ものお呪いをでっち上げるには苦労したが、それでも孫は興味を絶やさずずっと聞き入ってくれていた。うれしい限りである。
中でも、
「ねこったるこったにゃんこのめ〜」
というのがいたく気に入ったようである。話しを聞き終えた孫は、上機嫌で何度も唱えながら愚娘のほうへ去っていった。
「やれやれ・・・」
思わず溜息がでた。なんにでも興味を抱く年頃になった孫というのは、本当に目に入れても痛くないが、これほどパワーを要するのはカンベンしてもらいたい。四六時中それに付き合わされている娘にも頭が下がる思いだ。
そこではたと気がついた。子供達がまだ小さい頃、家内もこんな苦労をしていたはずだ。僕はその時どうしていたのだろう? 仕事だ、なんだといって避けていたような気がする。そう考えると、これから残りの人生、家内にはうんとサービスしなくちゃいけないなと思うのだった。
さてそれから二時間ばかりが過ぎた頃。
いよいよ油蝉による合唱大会が佳境を迎えているのをよそに、僕はもはや本棚に入りきらない蔵書を床に平積みした牙城にて、団扇片手にひっくり返っていた。もちろん蔵書の山に囲まれているので、風の通りは無きに等しく、ジッとしているだけでも汗がにじんでくる。エアコンは設置されているが、リモコンはどこかに埋もれて発掘することは不可能だし、第一、そのエアコンが本の陰に隠れてしまったいるのだから、そこがどんな状況なのか、容易に想像することができるだろう。そういう状況下にあっては、僕自身、本にとって天敵といえるんじゃないだろうか。
そんな時だ。茹だっている僕のもとに、娘が血相を変えて殴りこんできたのは。
「千春いる!?」
乱暴な入室のうえに問答無用な物言いに、少しばかり怒気をはらんで「知らん」と答えたのが悪かった。
ランニング姿に汗をにじませ、弥が上にも暑苦しくなるようなムスッとした僕の顔を見るなり、娘は
「お父さんが余計なこと吹き込むから!」
と大声でまくし立てるとその場に伏してしまう。それに嗚咽が続く。
一体全体どうしたというのだ。孫がどうしたというのだ。
いや待て。
血相を変えてやってきた娘。
見当たらないという孫。
そして僕が余計なことを吹き込んだいう。
最後の下りは言いがかりにも等しかったが、それはさておき、これらの情報から導き出せる答えはいくつもない。
・・大変だ!
それまでにじんでいた汗が嘘のように引いていく。そして本当に血が引いていく音が聞こえたような気がした。
「み、見つからないって、一体いつから!
なんで気がつかなかったっ!」
動転してるので娘の気持ちも汲まず、そして隣近所に聞こえそうな音量で口にしてしまう。
それが癪に障ったのだろう。「そんなの知らないわよ!」と娘もやり返してきた。
「お昼寝してるうちに晩御飯の仕度で台所にたったのよ! 一区切りして様子を見たらもういなかったの! お父さんあの子に何言ったの!」
さすが学生時代、段取り上図と言われただけのことはある。錯乱しつつも的確な答えが返ってきた。が、今はそんな事はどうでもいい。
「ト、トイレは! 庭先とか家の前で遊んでるんじゃないのか!」
「とっくに見たわよ! 今お母さんが近くを探して周ってる!」
それを聞くや否や、僕は娘を家に残して外に飛び出した。あまりにも慌てていたので、下駄と突っ掛けというアンバランスな状態でだ。しかしこれではあまりに走りづらい。なのですぐに取って返し、
「ひょっとしたら戻ってくるかもしれない。お前はここにいろ!」
と言い残して、運動不足解消用にと買い求めたにも関わらずほぼ新品の運動靴に履き替え、再度、家を飛び出した。
出るとすぐに、
「ちーーちゃーーーーん」
通り二つ向こうで、孫を探している家内の姿が飛び込んできた。
「ああ、お父さん。ちーちゃんが!」
向こうも僕を視界に捕らえたのだろう。息も絶え絶え、走りよってきた。
「桂子(娘の名前だ)に聞いた。それよりどこを探した? まだ探してないところは?!」
「小川さん、とこの空き地と、近くの公園を」
汗で張り付く髪もそのままに、家内は息も切れ切れにそう言った。
小川氏の空き地は、僕の家から百mぐらい先に行った所にある。マンガに出てくるような、土管が三本積み上げられて置かれている以外は、背の低い雑草が生えるだけの空き地である。子供一人が隠れる場所なんて、早々限られている。
一方の公園は、その空き地から北に向かって二百mも行った先だ。災害時などに地域の住人が集まる指定公園とされているのでそれなりに広い。しかし昨今の少子化で、その公園で遊んでいる子供を見かけることは少ないのだ。小さな子供が一人遊びするには寂しすぎる。それに三歳の子供が一人で遊びに行くには、なかなかの距離だ。
しかし、気になることがあった。
「よし分かった。お母さんはもう少しこの近くを探してくれ。
僕はその先に言ってみる」
返事をする家内を振り返りもせず、僕は走り出した。
確たる証拠があるわけじゃない。だが気になることがあったのだ。
我が家の軒先はよく猫が通るのだ。置きぬけの孫がそれを目の端に捕らえたのならば、興味津々、瞳爛々で、親に何も告げずに外に出ていったのだろう。
だとしたら猫の集まる場所。そこに孫はいる!
僕はそんな確信めいたものを胸中に抱え、近場でそういった場所の心当たりを目指して、足を動かすのだった。
戻る