― 6. 蠕動 ―
「た、隊長・・俺らの事はいいですから、アンベール捜査官の援護に・・・」
「何カッコイイ事言ってんだ、このバカタレ!」
打撲こそすれ、まともに立って歩く事の出来たオレインは、足を骨折して動けなくなっていた部下の一人に肩を貸し、避難行動の真っ最中だった。
熱血漢のオレインとしては、部下に言われるまでもなくアンベールの元へ馳せ参じたかったのは言うまでもない。しかしシグナム援護のために、封鎖結界に飛び込もうとした時とは分けが違う。魔力ゼロのガス欠状態の自分がしゃしゃり出たところで、なんの役にも立てない事が分かっているからだ。だから彼は、自分が今出来る精一杯を努める事にしたのだ。しかし歯がゆい気持ちは、その胸の内で未だ燻り続けている。
(くそ! 肝心な時に役にたたねーとはな! 俺はあの時から何にも変わってないってことかよ!)
苦々しい過去の記憶が甦る。
それは管理局の養成施設に入校し、半年が過ぎた頃だった。
養成施設が短期休暇期間に入ったことで、オレインは故郷に帰省することにした。しかし帰省に利用した時空間航路のターミナルで、突如発生したテロ事件に巻き込まれることになった彼は、それまで養成施設で培ってきた技術や経験を、全く発揮することもできず、ただただ立ちつくすだけに終わったのだ。勿論、施設に入って間もないヒヨッコ風情が出来る事なんて無くて当然なのだが、その苦い経験は、彼に大きな心の傷を作ったのだった。そしてそれがあるからこそ、彼は『命令破り』『暴走機関車』『始末書作成機』その他諸々の異名を持つ問題児に仕上がってしまったのだ。
ある意味『こんなはずじゃない人生』を送る羽目になった人間といえるだろう。
その時の記憶が蘇るのか、オレインの手のひらはジットリと汗をかいていて、却ってそれが彼の心を波立たせるのだ。
「突っ走ってはダメですよ、オレインさん。
また致死量ギリギリの鎮静剤に、バインド五重掛けで連れ戻さたくないでしょう?」
そんな心底焦りの表情を浮かべていたオレインに、たおやかな声音で声がかけられたのはそんな時だった。
「か、艦長!」
突如そこに現れた天使の姿に、思わず頓狂な声を上げたオレインは、直立不動の姿勢で敬礼してみせた。必然、肩を貸していた部下の手を離していたので「隊長・・ひどいっす」という非難の声が膝下から掛けられてくるのだが、彼は露骨なまでにそれを無視してみせた。
「なんだってまた、こんなところにまで出張って・・って決まってますな」
シモーネが取るモノも取りあえず、ここにこうして来ている理由など、早々にあるはずもない。だからオレインは得心顔で頷いてみせたのだ。
しかしそんな彼を、シモーネは咎めの視線で見つめ返すのだ。流石にその様な視線に晒されることを由としないオレインは、直ぐさまバツの悪そうな顔をして苦笑いを返すと、転がる部下に再び肩を貸すなり、易々と担ぎ上げてみせた。魔力が突き掛けていても、まだフルマラソンを走りきる体力は有り余っているらしい。
そんな彼に嘆息一つしてみせたシモーネは、
「ええ。あの子を迎えに」
まるで保育園に預けた我が子を迎えに来た母親みたいに、飄々と答えてみせたのだ。
アンベールの援護のためにやってきたという様子が全くないところが、オレインにとっては喜ばしい。しかし同じ男としてアンベールに同情の念も禁じ得ず、中々に複雑な気分になる。
そんな彼の心の内を知ってか知らずか、
「オレインさん。すぐにここから待避してください。むこう二ブロックは閉鎖するよう、クリスには通達済みです」
シモーネはそのような事を命令してきたのだ。
「区画閉鎖ですか? またずいぶん思い切った事を・・・」
オレインの頭をよぎったのは、区画閉鎖によって守りを固め、逆に薄い方へ敵を誘導。早々に艦外退去願うという最悪の事態を回避するための、恐らくもっとも最良と思われる策だった。
これでは、ロストロギアをむざむざ持ち去られるという結果になるが、僅か数名の奇襲によって『巡航艦を沈められた』いう不名誉な事実を回避できれば、管理局の面子や政治的影響力を最低限保つことができる。
しかしそれではシモーネの経歴に傷がつくとになる。女性の提督位所有者を快く思わない輩だっていて当然なのだから、喜び勇んでつけ込んでくるだろう。
それが分かっていての判断だ。苦渋の選択と言わざるを得ない。
しかし、それはオレインの思い違いだった。何故ならシモーネの顔には悲愴や苦渋を感じさせるようなものなど微塵もなく、代わって、至高の一手、秘策有りを思わせる余裕の笑みが、ありありと浮かんでいたからである。
「はやてさんも、ヴォルケンリッターの皆さんも、取り戻させていただきます。もちろん、ロストロギアだって渡したりするもんですか!」
「え?」
そんなシモーネの物言いに、さしものオレインでさえ目を点にせずにはいられなかった。それはほとんど完全勝利宣言に等しいもので、誰が見ても負けが確定しているこの局面を、ひっくり返してみせると、目の前の美人は言っているのだ。
猪突猛進の突撃思考で、座右の銘が『死して屍拾うものなし』なオレインをしても、眉唾物の言葉にしか聞こえない。
しかしシモーネの次の言葉を聞けば、オレインをして得心顔になったのである。
「クリスが策を見つけてくれたんです」
今、ニルヴァーナは、上を下への騒ぎの渦中にある。下手をすれば艦が沈むという騒ぎの最中、本来自分の仕事である艦の統制をセインやシンシアに代わってもらったクリスが、最優先で取り組まねばならないことなんて、早々あるはずがない。
そして彼女は突き止めたのだ。『はやてが操られている』という確かな証拠を。
そして今、この艦内でまともに魔法による戦闘が行えるのは、アンベールを除けば一人しかいないのだ。ならば、艦を預かる責任者であるシモーネが、ブリッジを離れてここにこうしている理由にも合点がいく。
「ですがそれには少々荒っぽい手段に訴えるかもしれないわけです。心おきなく動ける場所が必要なのは・・分かりますね。オレインさん?」
しかしそうは言っても、女一人で危険な場所に行かせるわけにはいくわけがない。
悲しいかな、男として見栄がその様に主張する。だが思わず見とれてしまいそうな最高の笑顔を浮かべ、惚れた相手が『オネガイ』してくるのだ。
惚れてしまった者としては、一にも二もなく従わねばなるまい。
阿呆である。バカ丸出しである。でもそれのどこが悪いというのか?
鼻息荒く、そのような自己を納得させるには些かアレな論理展開をした後、
「了解しましたーッ!」
ビシッ! と音速を突破しそうな勢いでオレインは敬礼してみせた。
そして矢継ぎ早に指示を出す。
「艦長命令だ野郎ども! 速攻で二ブロック後退ッ! ちなみに俺より送れた奴は、原隊に送り返してやるからなーッ!」
未だ苦痛の声を漏らす幾人かの部下達を、文字通りに蹴り飛ばしたり尻に鞭打って、オレインは戦略的後退を指示を下してみせた。
部下達としては、良い迷惑な話だった。
だが上官の命令はどこの世界でも絶対である。彼らは不平に顔を歪ませながらも、唾を飛ばして「はよせんか!」と文句を飛ばす上官の指示に従って、駆け足でその場から退いていった。
そうして群靴の足音も高らかに、オレイン達は第二十八ブロックからの撤退を完了させたのだ。
(やっぱり鎮静剤は必要だったかしら?)
その一部始終を見届けたシモーネは、と首を傾げて困惑顔しきり。しかし一転、思案顔になると、
(今回の一件が一段落したら、武装隊には優先して休暇を取らせようそうしよう)
そう心に決めた彼女は、踵を返して駆けだした。
そこにはもう先ほどまであった艦長としての顔は存在せず、『静かなる微笑のアイアンメイデン』としての顔があったのだ。
◇
「ええいクソ! 好き勝手に振り回しやがって!」
誰がこの騒ぎの後始末をすると思ってやがんだ!
内心で毒づきながら、マクシミリアン・アンベールは、インテリジェント・デバイス『ピラーホイール』を右に、左にと振り回し、八神はやてと守護騎士シグナムがユニゾンした融合体の攻撃を、鎬を削るようにして受け流し、そして隙あらば九本の指針をし向け続けていた。
しかしその結果、ニルヴァーナ艦内の通路の壁は、紙の切り抜きのようにメチャメチャに切り裂かれていくのだ。艦内のどこかにいるであろう財務担当のクルーなどは、きっと今頃、青息吐息でこのやり取りを見ていることだろう。しかしそんな艦内の財布事情などお構いなしに、乱闘は続けられる。
普段、アンベールは泣き言なんか口にしないタイプの人間だった。ある意味ニヒリズムに近い心情ではあったが、そうした心構えがなければ、幾つもの時空間を股に掛けた広域特別捜査官なんて仕事が務まらないのだから無理もない。
だが今この瞬間だけは、泣き言を言いたい気持ちでいっぱいだった。
なにしろ腰の痛みが限界に達しようと言うまでに、切羽詰まっていたからである。
「大人しく縛につけや! こちとら腰が痛くてたまんねーんだよ!」
特大級の魔法を放ってこない融合体なんて、飼い慣らされた熊みたいなものだ。現在のアンベールでも何とかしのげる相手であることは間違いない。しかし腰に負ったハンデは如何ともしがたいモノがある。しかしこちらの都合で、相手が手抜きをしてくれるはずもなく、彼の絶叫は空しく響くだけだったのだ。
だがそんな彼の声は、相手の神経を逆撫でることは出来らしい。
アンベールは、見たまんまのロートル親父だ。そんな中年男に、決定打を入れることが出来ない実情は、ゼラフィリスを苛立たせて余りあったのだ。そしてゼロのことも気に掛かるとなれば、余計に彼女の精神は波立つこととなるのだ。
「だったらとっととくたばって養生するんだね! クソ親父!」
苛立ちの口調を隠しもせず、彼女はついに自ら鞭モードに変形したデバイス『ネイプドアンカー』を手に載りだしてきたのである。
《Master!》
それを確認したピラーホイールが、直ぐさま知らせてくると、アンベールは拍手喝采を送りたい気分になった。
二人を同時に相手にすることは、圧倒的不利な立場に追い込まれることになるはずだが、即席のコンビネーションが早々に機能するはずがない。そこにアンベールが付け入る隙が生まれるはずだからだ。それに淡い期待をもつことにして、アンベールは腰の痛みに鞭打って(実は防御に回した三本の指針の内一本は、腰の痛みを和らげるためにコルセットにしていた)戦いに集中することにしたのだ。
誤算だったのは、二人のコンビネーションだった。
一糸乱れぬ・・とまではいかないモノの融合体が斬りかかる隙を補うかのように、ゼラフィリスがネイプドアンカーで抜き打ってくる。ゼラフィリスが前に出て攻めてくれば、融合体がその隙に呪文詠唱を行うのだ。
その有様に、アンベールが舌を巻き駆けた矢先だ。事態が急転直下で推移し始めた。
嗜虐的な笑みを浮かべてネイプドアンカーを振り回すゼラフィリスの表情が、不意に硬化したのだ。見れば、不可思議な前衛芸術的オブジェにでもなったかのように、鞭が至るところで空間に固定され、動かなくなっていたからだ。更には融合体までもが、呪文詠唱の途中で妨害されたのか、プログラムの発動が出来ない状態になっている。
「なんだいこれは!」
すぐにネイプドアンカーは拘束を解呪し、空を切り裂く音も高らかに彼女の手の内に戻って収まった。
バインドの類で拘束されたのか? と訝しむゼラフィリスに、デバイスが肯定してみせた。融合体もまた、詠唱途中だった呪文を解放し、自身の被害にならぬようにしてみせている。
その時だ。「すごい」という簡単の呟きと共に、通路内に手を叩く音が響き渡ったのだ。
「数秒で解呪するなんて、なかなか優秀ですね」
声を聞くなり、「出来れば逆の立場だったらよかった!」などと不謹慎なことを考えたアンベールを他所に、その人物は、落ち着いた足取りで三人の元へと歩み寄ってきた。
提督位と艦長位を示す襟章に、管理局時空航行隊所属を示す藍色の制服。
まるで花篭のように後頭部で結い上げた、カラスの濡れ羽色をした漆黒の髪。
柳のように細い目元の奥には、氷のようなアイスブルーの瞳が光る。そしてそこからは放たれる視線は、絶対零度に匹敵するように冷たい。それに反して、口元には薄い笑みが浮かべられていた。
『静かなる微笑のアイアンメイデン』
その二つ名を冠する魔女、シモーネ・アルペンハイムが、そこにいた。
ブリッジから第二八ブロックまで、全力で走っても五分以上はかかるというのに、息一つ乱していない彼女の姿は一種異様に映るのだが、今は後光の差す観音様に見えたのは、誰でもないアンベールだった。
――お取り込み中、失礼します。
そんなアンベールの耳元に、ブリッジにいるクリスティン・ホークからの思念通話が繋がる。
こんな時になんだ。ついイラッと来たアンベールは、不快感を露わにして切り返した。
しかし返ってくる返事は、普段の彼女らしからぬ、意志のはっきりとしたものだったので、そんな彼女を以外に思いつつ、アンベールは彼女の言葉に耳を貸すことにした。
そして得心したのだ。
現役を退くこと数年。提督位と艦長職を全うしていたシモーネが、現役さながら、いやそれ以上に『静かなる微笑のアイアンメイデン』としてそこにある理由にだ。
――了解した。俺を助けに来てくれたんじゃないってのが心残りだが、そう言うことなら仕方あんめい。サポートに尽力するよ。
――感謝します。アンベール捜査官。
短いモノだったが、シモーネからのその一言は、アンベールには何よりの一言だった。
この間のやり取りは、瞬き数回の僅かなモノだった。しかしその数瞬の間に、アンベールの生彩の欠いた姿が、みるみるやる気満々なモノへと変化していく様なんて、相手方にしてみれば面白いはずがない。
「今更一人や二人の援軍がきたところで、勝ち誇ってんじゃないよ!。この唐変木ッ!」
それこそ唾を吐き掛けてきそうな勢いで悪態をついたゼラフィリスは、群体特性を解放。分体事に呪文詠唱を開始し始めた。
すると瞬く間に彼女のまわりには、数十ものスフィアが形成された。彼女が所有する殲滅型重砲撃魔法である『スピアレインズ』を解き放とうというのだ。
この狭い空間で、その様な過ぎた魔法を使おうモノなら、文字通り槍衾のような空間が現出する事は間違いない。一歩間違えば、撃った本人もその被害に巻き込まれて重傷を負うことにもなるだろう。もっとも今のキレているゼラフィリスにしてみれば、どれほどの被害が出ようとも露とも感じなかっただろうが。
「弾けとべ!」
分体による体構成が軟化しているためか、ゼラフィリスの声は聞き取りづらいものがあったが、確かに彼女は勝利を確信した余裕の笑みと共に、スピアレインズを解き放つ最終的なコマンドを口にしてみせた。
しかし次の瞬間、彼女は我が目を疑うこととなった。
数十もあるスフィアから、魔法が一発して解き放たれなかったからだ。そんなはずはないと、彼女は再度トリガーコマンドを送ってみた。が、結果は変わらない。スフィアがこちらの命令を一切受け付けない状態になっていたのだ。
「・・なんだってんだい!」
ヒステリー気味に金切り声を上げたゼラフィリスは、すぐにそれが目の前で静かな笑みを浮かべている人間によるものだと察してみせた。
「そこの女! お前か! いったい・・一体何をした!」
「特に何も? 少しばかり割り込みを掛けさせてもらっただけですよ?」
静かな微笑み。そして穏やかな口調。しかし口にされたその言葉の内容は、途轍もないほどの問題を孕んだものだった。
特に何も? 少しばかり? ふざけるんじゃない!
結界破壊にだって幾ばくかの時間が必要になると言うのに、発動直前の砲撃魔法に介入する余裕なんて早々にあるはずがない。そんな芸当が出来るのは、大概、魔法を発動させようとしている本人しか考えられないのである。
だがそれが出来るからこそ、その二つ名を冠された魔女がそこにいるのだ。
シモーネ・アルペンハイムとそのデバイス『ガルンローレ』。このコンビの前には、魔導師は丸裸にされたも同然となる。
ガルンローレはその名の通り『糸巻き(Garnrolle)』のストレージデバイスだ。実際には、シモーネの両手の指にはめられた指輪から無限に伸びる不可視の糸の集合体である。この糸が相手が行使する魔法に絡まることで介入を果たし、その魔法プログラムの一部を改竄し、発動出来ない状態に持ち込むのだ。また魔法は緻密に計算された微積分の様なものでもある。その数式の一部に改竄された記述、または誤字のような記述が混入されれば、正答は導き出せなくなる(ケアレスミスは得てしてそうして生まれるものだ)。要は、プログラムに意図的にバグを仕込み、エラーで正常動作しないようにし向けるのだ。
意地が悪いと言えばそれまでだが、自分の魔法が絶対だと信じている魔導師ほど、このハッキング技には脆い。そうして彼女は静かな微笑みを湛えたまま、相手が自滅していくのを見守るのだ。まるで蜘蛛の巣に捕らわれた虫が、自ら糸に絡まり、余計に身動きがとれなくなっていくように。
それが彼女の二つ名の由来だった。
余り褒められた手段ではない事は分かっている。それが分かっているからこそ、彼女はどこか寂しそうに笑みを浮かべてみせるのだ。
「ガルンローレ。スフィアを分解した後、彼女達を拘束して頂戴」
《I Maam.》
小さく吐息を一つついて、シモーネは後ろ手に組んだ指を僅かに動かし、ガルンローレに指示を出す。するとゼラフィリスの周りにあったスフィアが、まるで霞が消え去るように分解し、魔力素の残滓となって霧散していくのだ。
「・・・・・ッ!」
目の前で繰り広げられる出来事に、肩を戦慄かせるゼラフィリス。そしてそうこうしている内に、手足の先が、縛り上げられていくような感覚に支配されてくる。そしてそれは背後の融合体も同様らしい。
しかし彼女が大人しく、黙って捕まるかと言えば否である。
だから、ゼラフィリスは何事か小さく呟いたのだ。更には全身の筋肉を、怒りで小刻みに震わせ始める。
そんな彼女の様子を危険な兆候と受け取ったアンベールは、シモーネが制止の言葉を差し挟む前に、いち早く行動を起こしてみせた。
――八神を頼む!
ゼラフィリスの背後にいる融合体を、そのまま拘束するようシモーネに頼み込んだアンベールは、
「手前の相手はこっちだ。蛇女!」
と、腰が痛む割には意外と機敏な動きで、前に進み出てみせたのだ。
そして長年の経験から、注意を引くにはどうすればいいのか、彼はよく心得ていたのである。どうしようもない悪戯を思いついたような、悪童のような笑みを。そして、それを取りだしたのだ。
「・・どいつもこいつも・・・。管理局にはまともに名前を呼ぶ奴はいないのかいッ!」
殊の外『蛇女』と呼ばれることが気にくわないゼラフィリスは、面白いようにその挑発に乗ってきた。そしてその前後を顧みない行動は、彼女にとんでもない痛手を食らわせる結果になったのである。
髪を振り乱さんばかりに怒りを露わにしたゼラフィリスは、首を巡らし、アンベールをその視界に捕らえてみせた。しかしその視界をふさぐモノがある。それはカードだった。何の変哲もないカード。だがしかし、そのカードには封印処理が施されていたのだ。
それが何だ!
火がつき、猪突猛進モードに入っていた彼女は、そのカードが何であるかロクに確かめもせず、右手で振り払ってみせた。
それをすぐ目の前で直視することになったアンベールは、後に語る。「アレは正に入れ食いだったな」と。
その言葉が言い表す通り、ゼラフィリスはそのカードを、『特A級の封印処理が施されたデータカード』を、何の躊躇いもなく、押しのけるようにして触れたのだ。
その直後、バシッともズバンッとも形容しがたい、高電圧のかかった施設がショートでも起こしたような派手な音と共に、マグネシウムが水と反応したような閃光を発して、データカードが吹き飛んだ。
まさかこの様な形で、データカードがスタングレネードも斯くやと言わんばかりの実績を上げるとは夢にも思わなかったアンベールは、被害をもろに食らったゼラフィリスに、多少の罪悪感を感じずにはいられなかった。
その一方で、シモーネがアンベールを叱責したのは言うまでもない。何しろ、大事な情報の入っていたデータカードを、まさかこの様な形で紛失することになるとは、夢にも思わなかったのだから当然だ。
しかしシモーネがアンベールを問い詰める暇は、それほど用意されていなかったのだ。
まるで消し炭のように真っ黒になったゼラフィリスが、
「・・やってくれるじゃないか・・・。
うだつの上がらない、このヘボ親父が〜〜〜〜〜〜っ!」
静かな怒りを、激しく燃えさかるそれへと瞬く間に代えるや、ザワザワとその体を組み替え、蛇竜へと変化しはじたのだ。狭い通路でスピアレインズを撃ち放とうとしたりと、人の迷惑を考えていないその行動は、非常に厄介だといえるだろう。
その様を見たシモーネも同じような感想を持ったに違いない。それと同時に、何とかしなければとも。しかしゼラフィリスのその変化は、自身の体構造を変質させていくものであったため、彼女お得意の割り込みによる阻害技は効果を発揮出来ないのだ。
融合体を抑えることは出来たというのに、手放さなければならないとは! ようやく、彼女を取り戻す方法が分かったというのに!
シモーネが一瞬浮かべた悔しそうな表情を垣間見たアンベールは、意を決したのだ。
虎の子である、その魔法を使うことを。
「フェーズシフト!」
フェーズシフトとは文字通り相転移の魔法で、この魔法を利用している間、アンベールは時間の流れから逸脱して、十倍早い時間の流れに乗って行動することが出来るようになる(代わりにリッターン百mと言われる戦車の如く、大量の魔力が消費されるのだが)。
しかしこの魔法はある意味反則技だった。後出しジャンケンの如く、後手を打ったにも関わらず、確実に勝ちを拾うことが出来るからだ。そして先の融合体の攻撃から難を逃れたのも、これを利用した結果だった。
相転移した世界はドップラー効果のためか、青一色の世界となる。そんな世界の中で、アンベールはゼラフィリスに向かって駆けだした。
そんな彼の目の前で、スロー再生されるビデオの映像のように、ゼラフィリスの体が刻一刻と変化していくのが手に取るように分かる。皮膚の表面が泡立ち、その奥にある筋繊維が分体化し始め、その一本一本が蠢き始めている。まるで死体にたかるウジでも見てる様な気分になる。
しかし悠長にそれを見続けているわけにはいかない。蛇竜への変化は実際の時間的にはあっという間に完了してしまうはずだからだ。でなければ、こうして相転移した意味が無くなってしまう。
だがしかし、今のゼラフィリスをどうやって拘束すればいいというのか。
ストラグルバインド? だめだ。魔法効果を打ち消す機能はあっても、シモーネのそれと同じ理由で役を為さないだろう。
バインドワッパー? これもダメだ。手足を縛り付けたところで、この巨体を縛り付けるには荷が勝ちすぎる。
ならば・・・。
だから彼は、それを選択したのだ。
「ファントムブレイズ、ヨークシフト!」
ピラーホイールの攻性モードである九本の指針への魔力刃付加。それがファントムブレイズだ。魔力刃は融合体が手にする大剣と同様に、如何様にでも変化させることが出来る。だから今彼の周りには、ブラッディーダガーにも似た三十センチ程度の小刀の群れが飛翔していたのだ。
そしてヨークシフトとは、ザフィーラの『鋼の軛』と同じく、対象者の行動を著しく阻害する意外に、忍者が使う『影縫い』と同じ効果を発揮する。つまり『一つの存在』『言の葉に縛られるモノ』を縫いつける、呪術的な効果を発揮するのだ(『呪術的な効果』を生む魔法はミッドチルダ式には存在しない。第四三管理世界『龍華』に伝わる呪符法を組み込むことで可能となるが、それをアンベールが習得しているかどうかはここでは言及しない)。
そしてそれならば、例え分体化したゼラフィリスであろうとも、その悉く、その全てを絡め取ることができるだろう、唯一の手段だったのである。
そうして解き放たれた猟犬の如き九本の小刀は、アンベールの号令一下、旋風の如く風を切り裂いて突き進み、ゼラフィリスの体を貫き通して、『全ての彼女』をその場に縫いつけていく。
「てめぇはそこで大人しくしてろ」
加速された世界の中では、彼女の苦悶の声を聞けるのはまだまだ先の出来事だ。しかし静観に耐えるほど、嗜虐心にとりつかれているわけではないアンベールは、ヨークシフトの効果が現れていることを確認すると、元の時間軸に復帰するのだった。
青一色だった世界からの復帰は、大量の魔力消費による目眩を伴う。だからアンベールは腰の痛みも相まって、倒れ込んでしまうのだった。
「・・・ろ」
何かを聞いた様な気がした直後、ゼラフィリスは体がビクとも動かなくなっていることに、そして全身に張り巡らせた神経ネットワークに焼きごてを押しつけられたような痛みを感じて、それが果たして自分の声なのかと自身でも信じられない苦悶の声を張り上げるのだった。
「グァァァァッ!
なんだい! なんだってんだいこれはぁぁぁぁぁッ!」
首から下の部分が、石像にでもなったかのようにビクともしない。なのに全身には、焼けるような痛みが駆けめぐるのだ。自分の体に何が起こっているのか、分からなくなって当然だ。そして思うことはたった一つ。一体どうやって十数歩あった間合いを一瞬にして詰め、そしてどうやって自分(達)をこうして縫いつけたとうのかとうこと。瞬間高速移動の魔法を使った形跡はない。しかもあろう事に、散々「腰が痛い!」と抜かしていたロートル親父によって為されたという事実が、癪に障って仕方がない。
分からない。分からない。分からないッ! 何故だどうして有り得ない!
しかしいつまでも当惑しているわけにもいかなかった。
寸分たりと動けなくとも、その視線の先で展開している出来事は、容易に認識することが出来る。そしてそれは、是が非でも妨害しなければならないモノだったのだ。
スピアレインズ・スフィアを事も無げに分解してみせたあの魔女が、融合体を雁字搦めに縛り上げ、何事か図ろうとしていたからだ。
考えるまでもない。あの融合体をゼロの支配下から取り戻そうというのだろう。
生中な手段に訴えたところで、そう旨くはいかないだろう。しかしそれは、ゼロが万全だった場合の話だ。
何故なら、彼女はいくらかの懸念をゼロに抱いていたのである。
仲間であるゼロの身に起こっている不調を気に掛けたことに端を発したそれは、母性にも似た感情なのかも知れない。そしてその感情に裏付けられた彼女の勘が、目の前の光景が『ヤバイ』と警鐘を鳴らしていたのだ。
――ゼロ! ゼロッ! 早くお逃げ! あたしのことなんか構わず早く!
ゼロは、はやての意識を押さえ込み、その体を支配下に置いている。そんな状態のところへ、あの魔女が介入を図ろうとしているのだ。その強引が過ぎる手段で強行されれば、どのような精神的被害が出るか分かったものではない。
勿論、それはゼラフィリスが考えた被害だ。実際には、生卵でキャッチボールをするぐらいに慎重で、繊細な操作をシモーネは行うだろう。だがそんなことを知る由もないゼラフィリスにしてみれば、取扱注意の梱包物を放り投げて寄越す乱暴な運送屋と同じに映るのだ。
――ゼム! この唐変木! さっさとゼロにリンクを切らせるんだよ! 何してるんだい!
あらん限りの罵詈雑言を思念通話に乗せて送り出すのももどかしく、ゼラフィリスはネイプドアンカーに自立行動を促した。
今ここにいる彼女は、ファントムブレイズの影響で指先一つ動かせない。しかし『異次元にいる彼女』はその影響を受けていなかった。ならば、こちらとあちらの繋がり切り離し、あちらの彼女が独自に再生復元すれば、再度、自由を取り戻すことが出来るだろう(完全再生には、大量のエネルギーと多少の時間が必要となるけれども)。
だが彼女の傍らで、尻餅をつくようにしていたアンベールが、そんな彼女の行動をつぶさに見つめていたのだ。
「・・そこで、大人しくジッとしてやがれったろ。この蛇女!」
腰の痛みからか、ジットリと額に脂汗を浮かべていたアンベールは、ゼラフィリスの手からこぼれ落ちたデバイスが、某かの意図を持って動き始めたのだと見破ると、それを黙って見逃す理由もないので、クリスタルケージを使ってこれを拘束したのである。
だがそれが、如何ほどの時間を稼いでくれるかは分からない。しかしそれでも、シモーネが事を成し遂げる程度の時間稼ぎは出来るはずだと、アンベールは信じて疑わなかった。
そうしてアンベールは、ゼラフィリスから恨めしげなオーラを感じつつも、ネイプドアンカーの拘束具合を傍目に、うろんな目線を動かした。どうにも腰が痛くて、一歩たりとて動きたくなかったからだ。
そんな彼が向けた視線の先では、シモーネが魔法陣を展開。融合体への強制アクセスに踏み切らんとしていたのだ。
「クリス! 手筈通り、偽装した誘導信号を送り込みながら、はやてさんのカーネルコアに組み入って敵性プログラムにハッキング、無効化します。
併せて自閉モードになっているはやてさんの精神に囁きかけて揺り起こしを行います。サポート、頼みますよ!」
直後、シモーネの足下に展開された魔法陣に照らし出され、意志あるモノのように糸の群れが舞い踊り、融合体に魔術的接触を果たしていくと、たちまちの内に、融合体ははやてとシグナムの二人に分離してしまったのである。
「ゼロ!」
直後、その様を見たゼラフィリスが、声にならない声で絶叫を上げたことに気づいたのはアンベールだけだった。
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