― Prologue ―
第一級捜索物指定『闇の書』による事件が収束してから二年の歳月が過ぎていた。
闇の書との魔力的リンクによる侵害で、半身の不自由を余儀なくされていた八神はやてであったが、二年の歳月で、杖を利用しつつも家屋内であれば問題なく、日常生活が営めるまでに回復していた。
彼女自身の持ち前の明るさと、新たに得た四人の家族(正確には三人と一匹)とで築き上げた暖かな関係が、ここまで速く彼女の身体機能を回復させたのだろう。とは、掛かりつけの石田女史の談だ。
八神はやては、我々の住むこの時空間の他に、いくつも存在する時空間を管理し、およびその時空間への影響を与える犯罪を取り締まる警察機構、時空管理局の嘱託魔導師でもある。
嘱託とはいえ、その能力は抜きん出たものがあり、闇の書事件に関する時空管理局への保護観察付き執行猶予期間が終了した暁には、すぐにでも主要なポストへ登用される可能性が高い。という噂が実しやかに囁かれているほどである。
戦技教官としての道を既に歩み始めている『白い悪魔』に並んで、『黒翼の剣十字』という通り名が、それを裏付けている。
一方、私生活の面では、私立聖祥大附属初等部への編入を果たした以外、これといった変化はないようである。
編入当初、車椅子を使った一人での登校は、家族(当然、ザフィーラを除く全員)が相当の難色を示したものだが、本人の強い意向でこれを実現させている。そんな我の強さも健在だ。
そして車椅子が杖に変わり、仲の良い友人の数も増えるにつけ、精神的にも身体的にも女の子らしい特徴が顕著になり始めたそんな頃、口の端に上る事と言えば、やはり淡いコイバナである。
「主はやての意中の人物?」
ここは八神家のリビング。
L字に配置されているソファーのいつもの場所で、いつものように新聞を広げていたヴォルケンリッターのシグナムであったが、同じヴォルケンリッターであるシャマルの口から出てきた話題に、少々面食らった様子で、顔をあげてみせた。
今、その場には彼女たち二人しかいない。
彼女たちの主であるはやては、同じヴォルケンリッターであるヴィータとザフィーラを伴い外出している(実際にははやてのリハビリを兼ねた、子犬携帯のザフィーラの散歩である)。
「・・なぜそのような話が出てくるんだ?」
理解に苦しむというジェスチャーで、シグナムは取り落としそうになった新聞を折りたたんで傍らに置くと、まっすぐにシャマルへ視線を移した。
「え、ええっと、それほどまじめな話じゃないのよ」
元々が釣り目がちのシグナムの目が、ともすれば三白眼になるかも。などと内心冷や汗をかきながら、シャマルは何故そのようなことを話題にしたのか、事の経緯を語り始めた。
「はやてちゃんって学校では結構人気あるみたいじゃない?
それに体つきもここのところグンと女の子っぽくなってきたし、男の子達としてもほっとかないと思うのよね。
それに『恋に恋するお年頃』っていうみたいだから、やっぱりほら・・ねぇ?
誰か好きな人でもいたりするのかなぁ・・なんて・・・」
「・・くだらない・・・」
何かと思えば。
あきれたな。
そんなことを呟きながらシグナムは、これでもかと全身から大きく吐息を吐き出した。
「大方、ご近所の方々からそのような話題を振られたのだろう?」
キロッと目だけで動かしシャマルを見据えると、図星を差されたのか、エプロンの端っこを摘んだりしわを伸ばすだのして体裁を整えようとしつつ、目線を合わせないようあさっての方向に背ける彼女の姿があった。
本当にしようのない奴だな。
シグナムはあきれる事しきりだ。
最近のシャマルは時空管理局の衛生局に詰める傍ら、はやてや仲間達が担当する事件のサポートなどを行っている。その一方で、八神家周辺のご近所様との付き合いを、一手に担っていた。彼女の柔らかい物腰は、老若男女問わず好感が持てるのだから当然と言えば当然である。そしてそんな付き合いのやり取りの中で、はやての話題が上り、好きな男の子はいるのかいないのか? などといった井戸端会議に花が咲いたのだろう。シグナムはそのように推測したのである。そしてそれは十中八九間違っていないと、確信めいた自信すら持っていた。
適当に誤魔化して煙に巻けば良いものを。
何を好き好んで、ましてや一緒になって詮索しようというのか。
守護騎士として失格ではないか?
そんな風に考えたシグナムは、再度、大きくため息をついてみせた。
「あーん。そんなふうにしなくてもいいじゃなーい」
そんなシグナムの態度を見たシャマルは、涙を浮かべてイヤイヤする。
そんな二人のやり取りは、まるでどこかの若夫婦のようである。確かにそのような相関図が、時空管理局内の一部で成り立っているという噂があるのだが、あえてここでは言及しない。
しかしそれ以前に、このような人間的な態度、仕草を取るよう守護騎士プログラムは組まれてはいなかったはずなのだ。
だが、はやてを主として迎え、なおかつ闇の書から切り離された、現在の独立モジュールとしての形態をとるようになってから、彼女たちはより人間らしく、感情豊かに表現できるように変革を遂げてきたのだ。それは取りも直さず、彼女たちの主、八神はやてが望む、幸せな家庭像を築き上げるため、彼女たちが切磋琢磨した結果の現れなのだろう。
「で、でもはやてちゃんって理想高そうよねぇ」
「・・何故そう思う?」
シグナムの冷たい視線に晒されつつも、まだその話題に固執するシャマルに、呆れつつも敢えて併せるシグナム。付き合いの良さは彼女なりの優しさか。
「だって周りにはフェイトちゃんとかアリサちゃんとか、男前な子が多いじゃない?
よっぽどの完璧超人さんじゃないと、釣合い取れないと思うのよね」
それは確かに。と呟きつつ、シャマルがあげた人物をシグナムは思い浮かべた。
フェイト、アリサの二人はたしかに頭脳明晰、成績優秀。そして品行方正と、まさに完璧を地でいく少女達である。ましてアリサにいたっては、同年代の男子より男らしい行動を取ることも少なくなく、リーダーシップもなかなかにある。
対してはやてはまだ十二歳にもならない女の子である。にも関わらず、時空管理局内ではその能力を生かし、第一線でバリバリ仕事をこなしているのだ。
これらのことから鑑みるに、同年代の男の子に好意を抱くとか、魅力を感じるなどといったことはまず無いと言って良いかもしれない。
そうなると同じようなエリートコースを歩んでいるクロノ執務官あたりが視野に入るのか・・・? 確かに彼は容姿、能力ともに有望だ。しかし他に選択の余地がないというのは、それはそれで問題ではなかろうか?
シグナムはあごの先を右手の親指と人差し指で挟み、思わずそんなことを考えてしまう。
「あー。シグナムがはやてちゃんのお婿さん候補、物色しふぇるぅ~」
シャマルがここぞとばかりに茶々を入れようとしたのだが、素早い身のこなしで彼女の背後を取ったシグナムは、それ以上無駄口を叩かせないよう、両の頬を引っ張って阻んだのだ。
いふぁいいふぁいと、変な顔をしながらモガモガ言うシャマルに、
「いいかシャマル。我らは守護騎士だ。主の幸せを願うことは当然至極!
だが斯様な下世話なことを我らが考えていいはずがないだろう?」
まるで自分に言い聞かせるように、シグナムは早口で捲くし立てたのだが、どこからどう見ても、シャマルに図星を指されたことに対する照れ隠しにしか見えなかった。
「このことは、いずれ主はやてご自身がお決めになる問題だ。
我らはそれまで座して待ち、主はやてがお決めになったことに黙って従えばいいんだ」
ひとしきり自分の考えを語ったシグナムは、うむ。と一人頷いて、シャマルから離れソファーに座りなおした。
すると、痛かったぁ。と涙目で両の頬をさするシャマルが、
「ん~でも~、ヴィータちゃんは全力で反対するでしょうね~」
とこぼすと、シグナムは無言の同意を示すのだった。
-PREV- -NEXT- -TOP-