L o o k
a n d
S e e
同じ国の中で戦争なんて馬鹿げた話だ。
二手にわかれて「勝った」だの「負けた」だの、火薬の無駄遣いをしてせっかくの資産をふっとばす狂気の沙汰にすぎない。理性がぶっとんだ政治家たちが国をあげて労働力をすり減らす間に、男は戦線を避けて不足しがちな物資を運ぶ「慈善事業」で戦後の食い扶持を稼いだ。
成人したての青二才から放っておいても翌年には6フィート地下にいただろう老人までが根こそぎ犠牲になった頃、どうにか「決着」がつく。勝った側ももちろん無傷では済まなかった。力仕事が出来る人材は戦火の下で例外なく傷を負い、残っているのは狡賢く立ち回る商売人か、四肢のいずれかを失ってまで生き残った猛者か、はたまた外見だけは無傷で生き残った頭のおかしな勇者だけだった。
そんな状況下では力仕事ができる成人男性なら仕事はいくらでもある。頭の回転が悪くなければ高給が約束されているようなものだ。ただし、病院送りになった愚かな愛国者の看護や亡骸の処理はもちろん、空気の悪い工場で埃まみれになるのもまっぴらだった。
結局男が選んだのは荒野にたたずむ小さな郵便局の臨時の配達員だった。馬に荷物をくくりつけて届け先をまわるだけの仕事に破格の給与がぶらさげられている。季節が冬でなければやりたいと思う奴はいくらでもいるだろう。
その支局では年老いた男が一人きりで働いていた。戦火の中を馬車で駆け抜けた武勇伝を披露すると、白髪の局長は賞賛の言葉を発したが、薄い色の瞳はすべてを見透かしているようだった。高待遇は他の支局が整備されるまでという条件つきで男は職を得た。
平地にぽつんと立つ小さな建物は戦火の中で残った数少ない支局で、信じられないほど広範囲の荷物が毎週届く。次の荷馬車が来る前にそれをすべて届け先へと運ぶのが配達員の仕事だった。支局に最も近い町には小さな住宅が並ぶ通りがあり、男はどこに行くにもその道を毎日馬で駈けた。
仕事を初めて一週間ほど経った頃、通りに馬蹄の音が響くたび姿を現す誰かの存在に気づいた。通行人に配慮した並足で通り過ぎたときも午後の悪天候を見越した駆足でも、その人影は変わらず視界の端に現れた。いつも淡い色の服を着ていて身長はさほど高くない。性別も年齢もわからなかったが、身のこなしから若いことだけはなんとなく察せられた。
その家の住人あてに封書が届いたのは男が配達員になって一月が経った頃だった。宛名は女性らしい文字で記載されていて、質の悪いインクで書かれたそれとは違い、掠れずに行き先を凛と告げている。宛名の前には”Mr.”がついていたが、家主のものなのか、件の人物を指す物なのかはわからない。
その日は朝から晴れていて、季節が少しずつ春に近づいていることを告げていた。どこか浮き足立った気分で葦毛の牝馬に鞍をつける。
今回まとめて届いた郵便物は遠出の必要もないものばかり。配達経路を頭の中で組み立てるときにあの家を最後にしたのは楽しみを少しばかり引き延ばしたかったからかもしれない。余裕をもって配達を終え、男はまだ日が高い時間に最後の届け先に到着した。
白い小さな家の前で馬を降り、木製のフェンスの前に置かれたブリキの郵便受けを開ける。端が欠けた木製の赤い旗を上げるとポーチの窓で色あせたカーテンが動くのが見えた。ちょっとした悪戯心で、手にした封書を郵便受けには入れずに、ドレープの向こう側にいる誰かを誘うようにひらひらとかざしてみる。足音と気配が家の中で動いて、覗き窓のない簡素な玄関扉が音をたてずにゆっくりと開かれた。
ウッドデッキを降りて広くはない前庭に敷かれたレンガの上を歩いてくる人物は予想に違わず小柄な青年だった。大人になりきらない体躯をだぶついたチュニックで覆い、用心深くこちらを伺う様子は淡色の服装のせいか白い猫を彷彿とさせた。
「ベンはどうしたの」
投げかけられた名前が年老いた雇い主のものだと気づくまでにしばし時間がかかった。
「…俺は爺さんの代理だ。人手が足りないんでね」
晴れた空の色に似た瞳に過ったそれは安堵だろうか。伏せられた視線が男の手元に落ちる。
「それは僕あて?」
「D-94番地の『ルーク・スカイウォーカー』か?」
蜜色の頭が頷き、くるくるとはねる髪が揺れた。額に落ちる前髪の隙間から大きな青い瞳が再びこちらを見つめていた。封筒を手渡すと、青年はそれをすぐに裏返し差出人の名前に目を走らせた。肩が落ちたのは気のせいではないだろう。
「あの!」
目を伏せた若い家主を不躾に観察したがる視線を引きはがして踵を返すと、背後から呼び止める声が聞こえ振り返る。
「届いたのは本当にこれだけだった…?」
「そうだ、坊や」
無意識に付け足した呼び名を聞くなり、あどけない顔に苛立ちが浮かぶ。
「待ってたものじゃなくて悪かったな」
思わず口をついたそれに気まずさを覚える前に、しかめ面をしていた金髪の青年は一瞬驚いた顔をして、それから小さく微笑んだ。
「ありがとう、郵便やさん」
視線がぶつかったのはほんの束の間だった筈なのに、すいこまれるような色を印象づけるには充分だった。
そんなやりとりがあってから、青年の家の窓は開いていることが多くなった。気温が上がってきたからなのか、あの会話がきっかけになったのかはわからなかったが、年下の住人は家の中から手を振ることもあれば、庭まで出てきて男に声をかけることもあった。
数少ない配達員の名前はいつの間にか町中に知れ渡っていて、少し高めの声で呼ばれる名前がミスター・ソロからハンに変わるまでそう時間はかからなかった。
「ハン!今日はなにか来てる?」
「いいや」
不満げに唇を尖らせるそれがわざとだとわかっていて、男は馬上から俺のせいじゃない、と肩をすくめてみせる。芝居がかったそれを見るたびに青年が声を上げて笑うので、つられて男も笑った。
季節は完全に春を迎え、死への遺恨と恐怖で色が失われていた街に少しずつ生活が戻ってくる。
青年の家では小柄な家主が屋根の上にのぼって工具を使っている姿や、近所の子供の玩具を修理している姿が見られるようになった。郵便の内容も少しずつ変わり、支局が増えたために遠出する必要もなくなった。期限つきで割り増しになっていた給料を元に戻すと老人から告げられたとき、男は当初の予定や己の信条を覆し仕事を続けると答えてしまっていた。
男の雇い主である老人はルークを幼い頃から知っている隣人の一人だった。郵便物を仕分ける作業中に淡々と語られた悲劇は戦時下にはありがちで、しかし充分に痛ましい。教会に貼り出されていた戦死者のリストも届かなくなって久しいのに、ルークと同世代の友人たちはみな志願兵として町を出たきり一人として戻ってきていない。彼らよりも若かった青年は従軍に反対する育て親を置いていけずに志願を諦め、最後まで彼を案じ二の足を踏んでいた親友もとうとう前線にかり出された。
そうして友を送り出した直後、戦況が悪化する。
迫る戦火に備えて町に残った数少ない働き手が町外れで塹壕を掘る。
金髪の青年も埃にまみれてスコップを振るう。
その最中、飢えと恐怖に目がくらんだ脱走兵が住宅街に流れ着き、食い物と金をよこせと銃を振り回す。
労働者たちが駆けつける頃には、青年の家族はすっかり冷たくなっていた──
年下の友人が何を待っているのか男はもう知っていた。
国中を巻き込んだ争いに全てを奪われた青年が縋りつくその希望が現実的ではないことも。
道端の野草が競うように花を咲かせる頃、小さな郵便局に住所が印字された小包や封書がいくつも届いた。差出人名の変わりに軍のエンブレムが押してあるそれは、物理的な重量とは違う重さを纏っていた。なければいいと願っていた宛名をその中に見つけ、吐き気にも似た黒々とした何かが鳩尾を締め上げた。
「これは私が届けようか」
声をかけられ、強ばっていた身体がびくりと反応した。顔を上げた先にはいつもと同じく薄い笑みを浮かべた老人が立っている。年齢や見かけによらず健脚な雇い主は、さばく郵便物の数が減った最近は歩ける範囲に限り配達員も兼ねていた。
「馬に乗れるのか、爺さん」
「一人のときは乗っていたよ。さすがに町外れまで歩いていくのは骨が折れるだろう」
紋章入りの配達物をすべて回収しようとする皺だらけの手から一通の封書を抜き取り、男は配達用の鞄ではなく上着の内ポケットにそれをしまった。老人は何も言わず、仕事の前の一服のために部屋を出ていった。
馬屋に入ると葦毛の相棒は横木の上から首を突き出し男の肩に鼻面を押し付けてきた。
「そんなにひでぇ顔をしてるか」
温かな首筋をさすってやり、ブラッシングと掃除をすませる。定常作業を終えて背を向けた男を引き止めるように牝馬が足を踏みならした。
「お前は爺さんと出勤だ」
悪いな、と肩越しに声をかけると大きな生き物は鼻を鳴らした。
誰もいない朝もやが景色を白く濁らせている。見慣れた通りまで徒歩で向かうのは初めてだった。郵便受けの脇にあるゲートを空けてフロントポーチまで敷かれたレンガを踏みしめる間、男は上着にしまった封書の重みを痛いほど感じていた。
木製の階段に足をかけた瞬間、足音が響いて目の前のドアが開いた。
「ハン、おはよう!窓から見えたから」
だぶついた部屋着に毛布を巻き付けた格好の青年はいつもより幼く見えた。
「今日は歩きなの?どうしたんだよ、こわい顔して」
「お前宛ての手紙だ」
階段を上がりきって懐から封筒を取り出すと青年の顔から血の気が失せた。肩を覆うブランケットがするりと床に落ちる。手紙へと伸びた指先は震えていた。
糊付のあまい封筒は呆気なく開き、中から小さな切れ端が二つ覗いた。汚れた階級章と小さく折り畳まれた便せんが一つずつ。くすんだ茶色の染みがついた紙面には、筆記体で青年のフルネームが記されていた。震えの止まらない手が折れ癖が強くついたそれを開いていく。
青年の周囲から音が消えたようで、息をすることさえ禁じられているかのようだった。
悪い知らせを運ぶ紙切れを取り上げてしまいたい衝動にかられ、男は奥歯を噛み締めた。
そんなものは読まなくたって何が書いてあるか分かるだろう。
「…なんで」
沈黙を揺らした声はひどく掠れていた。
「なんでだよ!こんな知らせを待ってたわけじゃない」
「坊や──」
焦点のあわない瞳は男を見ていない。容赦のない事実を言葉にして突きつけなければならないことに憤りを感じる一方、自分以外がここに立つことは絶対に許せなかった。
「ビッグス・ダークライターは死んだんだ」
潤んだ青い瞳に溜まって行く痛みが男の胸も刺し貫いた。
「いやだ…嫌だ!」
あふれて零れ落ちた雫が頬を伝う前に青年を強く抱き寄せた。悲鳴にも似た嗚咽ごと小柄な体躯を受け止めて、切り裂かれるような痛みに目を閉じる。
震える背中を撫でてもしゃくりあげる音はやまない。男は子供だましのまじないのように蜜色の髪に口付けた。腕の中の温もりを取り巻くすべてのものがこれ以上彼を傷つけることのないように。
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配達用の馬の名前は「ファルコン号」、ルークの家は「ドッキングベイ94」番地。