2.
その日、共和国軍護衛部隊の数ある待機室の一つに設置されている中型のスクリーンでは、歴史的な調停会議を中継する報道番組が始まろうとしていた。
「ああ、よかった間に合った!」
ばたばたと慌しく駆けこんできたのは、少々乱れたこげ茶色の髪にくるくると表情が変わる緑色の瞳が特徴的な若者だった。彼が身に纏う反乱軍時代から変わらないデザインのオレンジ色の飛行服は、つなぎの上体部分を脱いでベルトの上に袖を巻きつけたというなんともラフな着くずし方をされている。どちらかというと小柄なそのパイロットは、スクリーンが良く見える位置のテーブルに歩み寄ると、椅子を引き寄せる前に緩くなった袖をぎゅうと縛りなおした。
「第一声がそれか。礼儀がなっていないな、ホーン少佐」
貸し切りになっていた待機室へずかずかと上がりこんだ侵入者を咎めるような言葉を、さして気にもしていないような声音で口にしたのは、既に同じテーブルについていた黒髪の男だった。それなりに座りごこちの良い待機室備え付けの肘掛椅子に深く腰掛けたウェッジ・アンティリーズは、若者と同じオレンジ色のフライトスーツ姿だった。
「失礼します、アンティリーズ隊長。コラン・ホーン、ただいま到着致しました」
気を付けの姿勢を取り敬礼した小柄な新人操縦士は、青年のそれにしては少々高い声ですらすらと挨拶を述べた。休め、とわざとらしくしかめられた顔で頷いてみせた上司は、すぐに相好を崩し、打って変わって友好的な態度で腰を下ろした部下に問い掛けた。
「随分と急いで来たんだな。ホイッスラーは置いてけぼりか?」
新生ローグ中隊の名コンビなどと称されるようになったコランの相棒は緑色のR2ユニットで、製造番号よりもその親しみの込められたあだ名で呼ばれることが多かった。
「あいつをメンテナンスに出してきたから、こんなに遅くなったんです」
小柄な若者が腰を下ろすと同時に、もう一方のドアが開いて、階級証の無い黒いフライトスーツに身を包んだすらりと背の高い男が姿を現した。湯気をたてるカップを三つ乗せたトレイを危なげない手つきで運んできた金髪の彼は、コランの姿を目にして微笑んだ。
「よかった、もうそろそろ来る頃だと思って君の分も用意してきたんだ」
ありがとうございます、と少々かしこまった礼の言葉を述べるコランを見下ろし、タイコ・ソークーはクリスタルブルーの目を細めて、どういたしまして、と答えた。耳障りな音を一切立てず目の前に置かれた白いティーカップに手を伸ばし、ウェッジは何か言いたげな表情で顔を上げた。
「…いつも悪いな」
副隊長という立場でありながら、タイコが階級証をつけることを許されていないのは、彼が帝国軍に仕官していたという過去があるからだった。ウェッジ自身は、この副官に絶対の信頼をおいていたが、そうは思わない上層部の面々は、ホスのエコー基地以来ずっと反乱軍の一員として戦ってきた彼を未だに公平に扱おうとはしていない。さりげない労いの言葉にはそんな意味も含まれていて、それに気づいている聡い副隊長は、これは趣味のようなものですよ、と軽い冗談を返し小さく笑った。
コランにも温かい飲み物をすすめ、ミルクと砂糖の入った小さな容器をテーブルの中心に置くと、黒服の操縦士は小柄な新入り隊士のくしゃくしゃになった髪に目を止めた。
「コラン、もしかして走ってきたのか?」
タイコの質問に瞳を光らせて、いち早く返事をしたのは、問いかけられた本人ではなく、ウェッジだった。
「ああそうだ、我らが若きエースはルーク・スカイウォーカーのファンなんだ」
「ちがいます!」
狙いすましたようなその指摘に過剰な反応を示した青年は、今や偏狭惑星の子供だって知っているジェダイ騎士の業績は確かに賞賛に値するものだし、共和国軍の操縦士なら誰だって彼に憧憬かそれに近い感情を抱いているだろう、自分が特別なのではない、と少々赤くなった顔で反論した。
「大体あのときだって、隊長が妙なことを言うから…」
「妙なこととは心外だな、事実を述べたまでだろう?」
肩をすくめた隊長を恨みがましい瞳で見つめるコランは、二度と忘れることができないであろうジェダイ騎士との初対面のことを思い出していた。
コルサントの共和国軍本部で、ウェッジと二人任務の報告をした帰りに、エレベーターホールで声をかけてきたのがスカイウォーカー議員だった。数々の軍功を成し遂げ、殆ど伝説のような存在になっている人物を何気なく紹介され、ついでに隊長殿は『うちの若いエースだ』なんて言葉まで付け足してくれて、どうしていいかわからなくなったのを覚えている。
『因みに少佐の尊敬する操縦士はルーク・スカイウォーカーだそうだ』
『ちょ…アンティリーズ隊長!』
入隊時の簡単なアンケートに書かれた紛れもないその事実を、ウェッジのいつもの冗談ととったらしい外交官殿は、それは光栄だな、と笑った。金髪のジェダイ騎士はホロネットのニュースで見るよりずっと気さくな雰囲気で、隊長と同じくらいの背なんだ、とか、意外に線が細いんだ、とか、コランは余計なことをぐるぐると考える自分を止められなかった。訳も無く取り乱しながら、よろしく、と差し出された手を反射的に握ったとき、相手の顔から笑みがかき消えた。
『なんだ、どうかしたのかルーク?』
『…うん…ちょっと失礼』
ウェッジの問いかけに不明瞭な応えを返した金髪のジェダイ騎士は、内緒話でもするように顔を近付けると、コランの額に手をあてた。いきなりのことに固まってしまっている若い操縦士の目の前で、ルークはしばしの間じっと何かを探るように目を閉じていた。
うわ、睫毛、長いんだ…と頭の中で呟いて、コランは慌ててその考えを打ち消した。心臓がうるさいくらい音を立てていたが、額にあてられた手から伝わる温もりは決して不快ではなかった。それは多分、一瞬のことだったのだろう。しかし直立不動で固まったまま息をつめていた若者にとっては、その短い間に何時間もが過ぎ去ったように感じた。
額の手がそっと退けられ、閉じていたルークの瞳がゆっくり開いた。やっぱり、思った通りだ、と笑みを向けられて、コランは迂闊にも顔を赤らめた。しまったと思うと同時にウェッジの視線を感じて、若者は内心で舌打ちした。
『突然悪かったね、君のフォースを探ってたんだ』
思った通り素質があるよ、引き抜きたいくらいだ、と冗談めいた口調で旧友に告げるルークの顔が嬉しそうで、また動揺している自分に戸惑いながら、コランはどういうわけか呂律の回らない舌で自分はローグ中隊の一員であることに誇りを持っているとか、操縦士として憧れていた人物に勧誘されるのは嬉しいがその申し出は受けられませんとか、そんなことを一気にまくしたてて、挨拶もそこそこに隊長の腕を取ってその場を後にした。
あの後、ウェッジからは滅多に会えない友人とゆっくり話も出来なかったと嫌味を言われた挙句に、がちがちに緊張して赤面したことを散々からかわれて、兎に角悲惨としか言えない目に遭った。思い出しただけでげっそりしていたコランは、ローグ中隊の誇る若きエースにはフォースの資質があるらしい、というウェッジの台詞を聞いて我に返り、弾かれたように顔を上げた。
「うちの隊としても有能なパイロットを失うのは非常に惜しいが、お前がどうしてもスカイウォーカー議員の元で働きたいというのなら無理に引きとめはしないぞ」
引きとめない、という言葉に青ざめたり、さりげなく挟まれた有能なパイロットという賛辞に気づいて赤くなったり、めまぐるしく表情を変え、たどたどしく反論しようと奮闘する若者を、タイコは気の毒そうに見つめた。
「余り部下をいびると、評判が落ちますよ」
さも可笑しそうに若者をからかうベテラン操縦士を、隣の席に腰を落ちつけた青い瞳の副官が穏やかに諌めた。いびるとは人聞きが悪いな、と少しも反省していないような笑みを浮かべたウェッジに、今は無き惑星アルデラーン出身の彼は苦笑して、退屈になるとそうやって隊員で遊ぼうとするのは貴方の悪い癖だ、と呟いた。
「部下との距離を縮めるのも上司の仕事のうちだろう。それに、俺はどこでどんな評判になってるんだ?後学のために是非聞かせて欲しいもんだ」
標的をコランからタイコへと移した黒髪のコレリア人は腕を組んで、挑戦的な光を帯びたダークブラウンの瞳で相手を見据えた。
「実績と信頼を絶対の基準として、どこまでも公平な新共和国の守り人──こんなのはどうです?」
「また随分と持ち上げられてるもんだな」
それがどんな組織であれ、これだけ大規模な人の集まりの中で、思う通りの采配が揮えるというのは稀なことなんですよ、と続けられた副官の言葉に肩をすくめたウェッジは、自分が好き勝手出来るのは、平均より長い経歴のおかげだ、と笑った。
「中隊発足当時から居座ってる人間には、漏れなく縦にも横にも『繋がり』がついてくるのさ」
わかるか?とでもいうように目線を向けてくる司令官に、タイコはええよくわかりました、とため息混じりの返答をした。
「我らが隊長殿は、絶対に敵にまわしたくない人物であるということがね…」
しみじみ呟かれた副隊長の言葉に内心で思いきり同意しながら、小柄な若者はスクリーンに視線を戻した。画面の中心にいるのは新共和国お抱えのジェダイ騎士、ルーク・スカイウォーカーで、何故だかその姿は過去に見た写真や映像よりも少々若いように思えた。落ちついた物腰で議題を読み上げていく評議会随一の外交官の柔らかそうな金髪が、いつもと違い手櫛で後ろに流しただけになっていると気づいたとき、隣に座っている隊長が小さく吹きだすのが聞こえた。
肩を揺らして笑う年上の男をちらりと横目で見やり、コランはすぐに画面に視線を戻したが、とくに可笑しい点は見当たらなかった。まさかハット族の姿を見て笑っているわけではないだろう。どうやら、ルークの斜め後ろに座っている不機嫌そうな将軍が画面に映る度にくつくつと笑っているらしい隊長を、彼は訝しげに見やった。
「どうかしたんですか?隊長」
「知り合いの顔がホロネットで銀河中に中継されてると思うと、妙に可笑しくてな」
何食わぬ顔でそう応えた上司を、まだ幾分か疑惑の込められた瞳で見つめる青年は、またこの人は何かやらかしたんだな、とモニターの向こうにいる被害者に少しだけ同情した。
「この調停に意義があるかどうかは、『密輸業者の月』がどうなるかで決まる」
上機嫌の隊長殿はティーカップを傾け、満足そうに一息つくと、ふと真剣な眼差しをスクリーンに向けて、そうひとりごちた。コランは首を傾げて、打って変わって心配そうな影を瞳に浮かべるウェッジを見つめた。
「ナー・シャッダ、でしたか」
感情の読めない穏やかな声で、長身の副隊長がハット族の居住惑星ナル・ハッタの月の一つである都市衛星の正式名称を口にした。
「ああ──あの辺りは色々と問題が多い宙域だしな」
この穏やかで朴訥そうな上司は、見かけによらずコレリア出身で、昔は密輸業者なんてものをやっていたこともある──それはオレもそうだけど、と少しばかり以前の生活を思い出して、コランは懐かしい気分になった。
「今俺たちに出来るのは、何が起きても首都を守れるように、警戒を怠らないことだけだ」
「ええ、そうですね」
自分を抜きにして意味深な会話を交わす二人の上司を横目で見つつ、コランは冷めてきてしまった紅茶を啜り、椅子に深く腰掛けてスクリーンを見上げた。コーポレート・セクターの惑星で製造されたクリアな画質を誇るモニター上では、年若いジェダイ騎士がホログラムを用い、今後の計画を説明している最中のようで、その背後では妙に威圧感のあるヘイゼルブラウンの髪の男が、先程と変わらないしかめ面で、近付いてくる者全てを威嚇するように睨みを効かせていた。
◆ ◆ ◆
共和国は今、重要な分岐点に立っている。
そんなことはわかっている。しかし、それとこれとは別問題だ、とハン・ソロは隣の席で熱心に最新型のラップトップのモニターを見つめている姫君に聞こえないよう、小さく悪態をついた。
大体、自分は今休暇中ということになっていた筈だ。何故俺は窮屈な軍服などに身を包み、望みもしない任務を引き受けてこんなところにいなきゃならない?慣れ親しんだ愛機の座り心地の良い操縦席とは比べ物にもならない──ファルコンの方が良いにきまっている──VIP用のシャトルの皮張りのシートにまで当たり散らしてしまいそうな程の苛立ちを紛らわす為に、男はもう何度目か数えるのもやめてしまったため息をついた。
中立惑星が提供した大型の宇宙船で開かれた会議において、新共和国とハット族の調停が結ばれたのが2週間前。その前日までコレリア基地開設の経過報告書の作成に追われていたハンが、やっとゆっくりルークとの時間を持てると思ったのもつかの間、今度はルークが調停会議の後処理に奔走することになり、同じマンションで寝泊まりしていても殆ど顔を合わせることのないような日が続いていた。
その上、誰がどうやったのかは知らないが、新共和国の議会がハット・スペースでの違法行為の取り締まりについて、『密輸業者の月』と呼ばれるナー・シャッダでの会談をとりつけたことで、ハンの立場はあれよあれよという間に、羽振りの良いコルサントの酒場の常連客から一転して、オーガナ議員の相談役などという、なんとも堅苦しい肩書きを背負うものになってしまった。
過去のいざこざも有り、最初は馬鹿馬鹿しい、と話を聞くことすらしなかったコレリア出身の元密輸業者は、レイアの計略によって呆気なく陥落した。今や反乱軍時代とは比べ物にならないほどの仕事量をこなす有能なアルデラーン出身の姫君は、会議に追われているジェダイ騎士のスケジュールを調整して、ハンが彼と二人で過ごせる時間を増やした上で、ルークに男の説得を頼んだ。
『ハンがついていてくれれば、安心なんだけどな』などと上目遣いに言われてしまえば無下に断れるはずも無く、新共和国軍コレリア部隊を率いる将軍は、ボディガードよろしくお姫様の隣に座っているだけのその役目を渋々引き受けた。
この埋め合わせは高くつくぞ、キッド──眉を顰めた男は、再興された通商連合との会合に向けて、例によってコルサントの会議室に入り浸りになっている筈の年下の恋人に、恨みがましい思念を送った。この面白くない状況がルークの所為ではないことくらいわかっている。それでも、忌々しい仕事を押しつけられたことへの憤りを誰かにぶつけなくては気が済まなかった。
ナー・シャッダが今回の任務の目的地だという事実も、男の苛立ちを増徴させていた。相手の陣地に乗り込むなんざ自殺行為だ、と何度口をすっぱくして言っても、頭の固い議員達は困惑を顔に浮かべて曖昧な返事を返すだけで、苛立ちはつのるばかりだった。一度痛い目を見ればいいと突き放すのは簡単だったが、自分が手を引くことで痛い目に遭うのは、唯一ある程度は話が通じるレイアなのだ──お高くとまった石頭どもの尻拭いをするのは大変だろう、とハンは初めて彼女に同情した。
防音の効いた静かなシャトルの客室には、リラクゼーション効果のある音楽が静かに流れていたが、それは年季の入ったエンジンの低い振動音に慣れてしまった男をかえって落ちつかない気分にさせていた。彼の愛機ミレニアム=ファルコン号は、数日前にチューバッカを乗せてカシークへと飛んでいった。大きめにしつらえられたシャトルの丸窓のホロブラインドが、ウーキーの故郷を思わせる濃緑な森を映しているのを見て、ハンはいっそあの時帰省する相棒と一緒に逃げ出してしまえばよかったか、と内心でぼやいた。
「ハン」
広々とした幅を取ってある座席に座っているにもかかわらず、着なれないグレーの軍服の所為なのか、居心地の悪さを払拭できない男が、少々柔らかすぎるクッションに沈んだ身体をぎこちなく動かしたとき、仕事に集中しているとばかり思っていたレイアが、どこか躊躇いがちに声をかけてきた。
「今回のことは、悪いと思ってるわ」
意外な台詞に、ハンは眉を上げて横目で傍らの白い顔を見やった。知性を感じさせる瞳にその時初めて微かな疲労の影を見て取り、男は不機嫌そうなしかめ面を少々和らげて、相手を気遣うような表情を浮かべた。
「休暇中の貴方を引っ張り出すのはどうかと思ったんだけど…他に頼りになりそうな人員が見つからなかったし、何より皆それぞれに仕事があってとても引きぬけるような状況じゃなかったのよ」
パタンと音をたててラップトップを閉じ、長い睫毛を伏せた新共和国軍の若き統率者はふう、とため息混じりの吐息を落とした。白を基調としたスーツは、万が一の事態が起きたときの為デザインよりも動きやすさが強調されていたが、すらりとした体のラインを綺麗に見せるその服は、通常の外交用のゆったりとしたローブやドレスよりもレイアによく似合っていた。
「誰が悪いってわけでもないんだ、仕方ないだろう」
「でも、ルークをけしかけて、貴方を頷かせたのは私だわ」
それはキッドの頼みごとを断れなかった俺の所為だろう、と肩をすくめたコレリア出身のパイロットにいつもより少しだけ弱々しい笑みを向けると、レイアは再び俯き、しばし言葉を止めて、ラップトップの無機質な表面を細い指で撫でながら続けた。
「本当のことを言うと、今回の話合いはどうなるかまったく見当がつかないの」
でもね、と無意識に動かしていた手を止めて、年齢を重ね落ちつきと美しさを増した姫君は、強い光が宿る瞳で真正面を見据えた。
「ハット族とナー・シャッダが表面上だけでも共和国につくなら、それは大きなチャンスだし、横行してる犯罪を取り締まる絶好の機会でもある──大きな一歩が踏み出せるかどうかの一大事なのよ」
激するでもなく淡々と語るその表情は穏やかだったが、瞳だけはそんな冷静さを裏切り、彼女が仕事に向ける情熱と、成し遂げたことに対する誇りを垣間見せていた。そうだな、とどこかつまらなそうに生返事を返すと、我に返ったらしいレイアが傍らでその顔に苦笑いを浮かべた。
「…今はひたすら走っているばかりで、余裕なんてあったものじゃないけれど、いつか一息ついて、肩の力を抜いて深呼吸して、後ろを振り返れるようなときがきたら、貴方とルークには厭というほど長い休暇をあげるって、約束するわ」
「そりゃあ在り難いな」
嫌味のようにも聞こえるその言葉に、レイアは苦笑したまま首を振った。自分の口約束が現実になる可能性が果てしなく低いことを、彼女は誰よりもよく知っているのだろう。むしろ、共和国の力が強くなればなるほど、今よりがんじがらめになる自分たちの立場を、アルデラーン出身の姫君もハン自身も、身を持って知っていた。
シャトルがナー・シャッダに近付く程に、折角消えかかっていた不機嫌さが増していく。隣でそんなハンの苛立ちを見たレイアがそっとため息をつき、ホロブラインドに映る深い青色の湖へと目線を移していた。
BGMが途切れ、小さな電子音と共にベルト着用のランプが灯り、シャトルがナー・シャッダに近付いていることを機械的なアナウンスが告げた。しばらくして光速移動を脱出し、ホロブラインドが消えた窓から、二人はそれぞれに複雑な思惑を抱え、様々な因縁や犯罪が渦巻く都市衛星を見下ろした。
沈黙をやぶったのは各座席に備え付けられたコム・システムの呼び出し音で、レイアが受話器を取らずにスピーカーのスイッチを入れると、聞きなれたローグ中隊長の声が通信を伝い機内に響いた。
『こちらローグ・リーダー。Xウィング6機、全て正常に光速空間を脱出。このままナー・シャッダ上空で待機します。オーバー』
「退路の確保は頼んだぞ、アンティリーズ」
真面目な口調のウェッジにレイアが返事をする前に、ハンは低い声で無遠慮な命令を下した。抑えきれなかったらしい笑い声と、了解、という返事がスピーカーから聞こえ、少々引きつった笑みを浮かべた姫君は無言で通信を切った。
◆ ◆ ◆
前に訪れたのがいつだったか思い出せないくらい、久方ぶりに降り立ったその衛星には、どこか懐かしい空気が漂っていた──しかしそれは、決して快い懐かしさではなかった。いらない記憶や感覚を蘇らせるその淀んだ空気に、ハンは苛立ちが更にじわじわと全身を侵していくのを感じていた。
シャトルを一歩出た瞬間から、ぴりぴりと張り詰めた空気を纏っている男を、レイアは少々不安げな眼差しで見つめていた。それは微かな表情の変化にすぎなかったが、触れれば切れそうな程に神経を尖らせたコレリア出身の元密輸業者には充分すぎるほどに伝わり、ハンは目線を会わせないまま、隠そうともしない苛立ちを滲ませ、心配しなくても馬鹿なことはしない、と低く唸った。
薄暗い宇宙港は、それなりに整備されてはいたが、微かな悪臭が漂い、どこか不衛生な印象を残していた。彼らを待っていた案内役は若いトイダリアンで、言葉少なに挨拶と今後の予定を語ると、波を描きながら空中を横切り彼らを先導した。
「貴方はこの月に住んでいたことがあるの?」
ジャケットの下の見えない位置に巻いたホルスターと小型の銃を、さりげなく片手で確かめたレイアが、小声で問いかけてきた。
「コレリアからの移民が住む区域にな…昔の話だ」
簡潔な応えを低い声で返し、後ろに続く緊張気味の警護員たちをちらりと見やると、揃いの軍服に身を包んだ3人は、並んで歩く重役二人からつかず離れず、何かあった時にはすぐに彼らを援護できる距離を保っていた。
恐れていたような襲撃も受けることなく、程なくして彼らはコルサントより色褪せた高層ビルが立ち並ぶ区域の、厳重にガードされた建物に着いた。
「気を抜くなよ」
振りかえることなく、背後に控える警護員へと低く唸るような命令を下し、ハンはぴんと背筋を伸ばして歩くレイアの隣でさらに険しさを増した表情を浮かべた。当初とは別の意味で不安にかられたらしい姫君が、小さくため息をついたのが目の端に映った。
無言で先を行く青い肌の先導者が、目に見えない早さで羽を震わせて案内したのは、白い小さな部屋だった。四角い空間の中心に置かれたモノトーンのインテリアとは対照的に、窓の外では引っ切り無しに行き交うエアカーたちが色とりどりの列を成していた。
「『密輸業者の月』へようこそ」
あまり座り心地が良さそうには見えない黒いカウチの傍らに佇んでいたのは、年齢不詳のトワイレックだった。闇色のローブと不気味なコントラストを描く薄い緑の肌には張りが無く、赤い目だけがギラギラと光って、口を開く度にちらりと覗く黄ばんだ歯と共に、薄気味悪い印象をかもしだしている。
「お会いできて光栄です、プリンセス・レイア・オーガナ」
ハスキーがかった耳障りな声で名を呼ばれたレイアは、少々固い笑みを浮かべ、差し出された手を握った。
「こちらこそ、お招きいただいて、ありがとうございます」
形式的な握手を終えた新共和国の若き統率者が、こちらは──と傍らに控えるハンを事前の打ち合せ通りに偽名で紹介しようとしたとき、トワイレックがにやりと笑みを深くした。
「これはこれは、ハン・ソロ将軍。貴方には『おかえりなさい』と言った方が宜しいでしょうか」
レイアが小さく息を飲むのが聞こえ、コレリア出身のパイロットは眉間の皺を深くした。『ハン・ソロ』という人物がこの会合に参加することは、内密にされていた筈だった。
「帰ってきたつもりはない。俺としては、一秒でも早く出て行きたいね」
殺気の込められた声で唸り、ハンは相手を睨みつけたまま、わざとどかりと音を立てて黒光りする皮張りのカウチに腰を下ろした。
「それは残念」
何か言いたげなレイアに、どうぞ、と席をすすめながら、トワイレックは向かいの肱掛椅子に腰を下ろした。
「さて、今日は何をお話しましょうか」
「喋る相手を間違えてるぜ。俺はただのボディガードだ」
これは失礼、と再び不快な笑みを見せたナー・シャッダの代表者は、テーブルの上にあるホログラムのスイッチを入れてレイアに向き直った。浮かび上がった青白いホログラムはナル・ハッタのミニチュアらしく、彼はくすんだ色の惑星の周りをくるくるとまわるいくつかの衛星のうち、最も大気が淀んでいる灰色の都市衛星を指し示し、これが密輸業者の月ですよ、と言った。
「まず最初に解っていただきたいのは、ナー・シャッダがナル・ハッタの影響下にある衛星であると同時に、広い宙域を統治する強大な自治体であるという点です」
言いながら、彼はぎらついた赤い瞳をハンに向けた後、ゆっくりとレイアへと移動させた。
「ナル・ハッタの権力者が定めたこの協定も、こちらの一存で全く関係がないと言いきることも出来るのだということを解っていただきたい」
口を開きかけた姫君は、自分たちが入ってきたドアとは違う扉が音もなく開いたことで隣に座る男や背後に控える護衛に走った緊張により、タイミングを失ってしまった。入ってきたのは銀色のプロトコルドロイドで、ボディと同じ銀色のティーセットを無言でテーブルの上に置くと、何も言わずに退出していった。まだ回りつづけているナル・ハッタのホロ・レプリカが、銀食器に青白い光を投げかけていた。
「勿論、お互いに身のある関係を結ぶことが出来るならば、この協力体制を無下に拒否することはありません」
出された飲み物に手をつけようとしない二人の客に見せつけるように、ことさらゆっくりお茶の類が入っているらしいカップを口に運んだ彼は、肱掛椅子に深くもたれかかった。
「新共和国としても、ナー・シャッダとの同盟はとても有益だと考えています」
姫君の型通りの社交辞令に目を細め、エイリアンは銀色のカップをテーブルに戻した。
「あなた方は、奴隷制度を固く禁じていると伺いました」
頷いたレイアを見とめ、彼は言葉を続けた。
「この宙域でも、人身売買は廃れていく傾向にあるようです」
「完全になくなったわけじゃないってことは、その分高値で取引されてるってことでもあるんじゃねぇのか」
傍らの姫君が止める間もなく、抑えられた殺気を放つ男からぶつけられた皮肉に、流石はソロ船長、裏事情にお詳しい、とわざとらしい誉め言葉を返したトワイレックは、にやりと唇を歪めて続けた。
「かつて貴方を雇っていたジャバ・ザ・ハットは、奴隷制度の斡旋も行っていたそうですが」
「何が言いたい?」
ハンの押し殺した低い唸り声を聞いたエイリアンは、さも可笑しそうに耳障りな笑い声をあげた。
「いえ、奴隷商から助けたウーキーと行動を共になさっている将軍殿が、人身売買について遺憾に思っていることは、何も不思議ではないですがね」
レイアがちらりと何かを恐れているような視線をよこしたが、ハンは黙ったまま不快感と冷たい怒りを瞳に浮かべ、ただじっと相手を見据えていた。
いけすかない野郎だ…
「ナー・シャッダとしても、奴隷制度の撲滅にご協力しましょう。しかしその代わり、違法な商船を取り締まる手段は我々に任せていただきたい」
明かされた相手の狙いと取引の内容に、レイアは顔色を変えた。
「そちらの協力を得る代わりに、こちらからの干渉を一切無くせと仰るんですか」
固い声音で返された彼女の言葉に、交渉相手は笑い、姫君は流石に物分りが早くていらっしゃる、と血の色をした目をレイアに向けて言った。
「外交において最も大事なことは、信頼関係を築くことだと思いませんか」
「よく言うぜ、俺の経歴をこそこそ調べまわったのはどこのどいつだ?」
口を挟んだ男の更に鋭さを増した眼光にも怯むことなく、血色の悪いエイリアンは、貴方の背景は調査をする必要などないほど有名ですよ、と喉に何かが引っかかっているような笑い声をあげた。
「この宙域に新共和国の巡回船が入って来れば、各方面の取引先の動揺を招きかねない──」
ソロ将軍にはご理解いただけると信じていたのですが、と挑戦的な目線をよこされて、少しも親しみの込められていない笑みを浮かべたコレリア出身の操縦士は、組んでいた腕を解いて広げると、身を乗り出した。
「は、そりゃあ良い話だな。あれもこれも変えるつもりはないんじゃあ、この話合いの意味は一体なんなんだ。今ごろ手下が、俺達のシャトルに爆弾でも仕込んでるって寸法か?」
「ソロ将軍」
感情を押し殺したレイアの声で我に返り、ハンは口を噤むと再び背もたれに体重を戻した。言いたいことはまだまだあったが、隣に座るレイアの、お願いだから少しの間黙っていて、と懇願するかのような目線を感じ、彼は息の下で微かにコレリア特有の悪態をついた。ハン、とたしなめるように名を囁かれ、無視を決めこみあらぬ方を向くと、彼女は堪えきれなかったらしいため息をつき、交渉相手に向き直った。
「今回の話合いは、こちらの言い分を押しつけようとするためのものではありません。今日は貴方の仰る通り、人身売買を禁じる措置を講じるという公約を…」
「貴方が連れていらしたのが、あのジェダイ騎士ではなくて、正直安心しましたよ」
どこか力無い声で言いかけたレイアを遮り、赤い目を光らせたトワイレックは、先程からハンの神経を逆撫でしているどこか勝ち誇ったような薄ら笑いを浮かべて言った。
「それは、どういうことでしょうか」
姫君の幾分固い声音にひるむこともなく、彼は続けた。
「私たちの種族はフォースに特に弱い。交渉するのに、ジェダイのトリックでも使われたら、困りますからね」
ぶつん、と何かが切れた音が聞こえた気がした。苛立ちというには激し過ぎる衝動に襲われ、ハンは自分が何をしているのか自覚する前に立ちあがり、呆気にとられた顔のレイアや警護員が制止しようとする前に、ローテーブルの上に置かれた銀食器を蹴散らし、交渉相手の胸倉を掴み挙げ、驚愕に引きつった薄緑色の顔を思いきり殴り飛ばしていた。
◆ ◆ ◆
「ハンが『密輸業者の月』で、交渉相手を殴ったそうだ」
まるで今日の天気でも口にするように、こともなげに放たれたランドの台詞に、ルークは危うく口に含んだホット・チョコレートを吹き出しそうになった。足元で問うような電子音を上げたR2-D2に応える余裕もなく、青年は目を白黒させた。
コルサント都心部の新共和国評議会本部ビルに設置されたエアタクシー乗り場に隣接する小ぢんまりとしたカフェスタンドで、彼はあのチェス・ゲームの夜以来会っていなかった友人と、会議の合間の休憩を楽しんでいるところだった。シャトルの出発時刻まで中途半端な空き時間ができてしまったというランドは、本部職員の業務時間の真っ最中で人気のないスタンドのカウンターにルークを誘い、アルコール飲料ではなく、あたたかくて甘い飲み物を二つ頼んだ。
ベスピンの近隣惑星との交渉などを任せられている筈の彼は、どういうソースを持っているのかはわからないが、コルサントに常駐しているルークよりずっと情報通で、今回もそんな彼の最新のニュースに耳を傾けていたところだった。
どうにか口の中のココアを飲み下し、けほん、と小さく咳をすると、金髪のジェダイ騎士はどうにか言葉を返した。
「な、殴ったって──どうして…」
滅多に見られない狼狽ぶりに、褐色の肌の友人は、持ち上げたマグカップに口をつける前に降ろし、大丈夫か?と問いかけた。頷いたルークに先を促され、ランドは表情を引き締めて続けた。
「詳しくはわからんが、向こうさんが言ったことが気にいらなかったとか何とか…」
「それで、ハンもレイアも無事なのか?」
勢い込んで訊く青年に、男爵は困ったように肩をすくめた。
「つい数時間前に俺が聞いたのはそこまでだ。コルサントに続報が入ってきてないってことは、大事にはなってないってことだろう」
慌ててコムリンクの着信履歴を確かめたルークを見たランドは、ローグ中隊もついていったことだし、あまり心配する必要もないと思うぞ、と言い足した。
「心配することはないって…だって、一体なんでハンがそんなこと──」
「さあな、何か余程腹に据えかねることを言われたんじゃないか。多分もうすぐレイアか、本人から直接話があるだろう」
宥めるように肩を軽く叩かれ、ルークはため息をついた。
「それが、ハンとレイアとは、ちょうどすれ違いなんだ。今夜、通商連合との会合場所に行かなきゃならない。向こうがジェダイの参加を条件にしてる以上、僕が抜けるわけにいかないし」
それに、この後は出発直前まで会議室に缶詰だよ、多忙なジェダイ騎士は友人の向ける同情的な瞳に弱々しい笑みを返した。
「…やっぱり、ハンに同行を頼んだのはまずかったかな」
無理矢理押しつけたようなものだったし、と小さくぽつりと落とされた言葉に、ランドは眉を上げた。
「いや、ある意味賢明な人選だとは思うが、奴を説得したのはレイアじゃなかったのか?」
「レイアに頼まれたのはそうだけど、直接ハンに話したのは僕だよ。」
流石、新共和国の麗しきリーダーは人の使い方が上手い、と冗談混じりにランドが口にした誉め言葉に小さく笑ってみせたルークは、頼みごとを渋々引き受けたハンの苦虫を噛み潰したような顔を思い出していた。
「ハンは、このままでいいのかな」
俯いた青年は低い声で続けた。
「──本当は、共和国っていう枠の中なんかに留まりたくないんじゃないかって、時々思うよ。でも、それを訊いてしまったら、ややこしいことになりそうで…怖いんだ」
マグカップを弄びながら落とされたその言葉に対し、浅黒い肌の友人は真剣な面持ちで質問を返した。
「本当にハン・ソロが飛び出したがってるとして、もしその時が来たら、どうするつもりなんだ?」
「その時が、来たら…」
僕に出来るのはきっと、引きとめないでいることだけだよ──そう俯いたまま低く囁いたルークの表情の読めない横顔をちらと伺い、視線をカウンターの向こうに並ぶ酒瓶に向けると、ランドはいつになく弱気なジェダイ騎士の台詞に対する感想を述べた。
「何も言わないでいたら、本当にそこで終わりだな」
どこか突き放したようにも聞こえるその言葉は、予期せぬ鋭さで青年の胸に突き刺さった。それこそが、彼自身がいちばん恐れていることではなかったか。
「あの男が行くと言ったら、誰が引きとめたって行くだろう。そこで黙って見守るのが得策だとは思えないな」
肩をすくめてそう続けると、男は少々気遣わしげにルークの表情を伺った。
「言葉にしなければ伝わらないことだってあるさ」
黙って目を伏せた青年を励ますように、共和国の有能な議員の一人であるカルリシアン男爵はわざと明るい声で付け足した。
「…そうかな。言葉にしてもいいんだろうか」
願いを口にすることは、あの自由で人を惹きつけてやまない奔放な魂を自分のエゴで縛り付けてしまうことになりはしないのだろうか。
「まあ、部外者が口を挟む問題でもないかもしれんが。あんまり思いつめないことだ」
「ありがとう、ランド」
コムリンクが軽やかなメロディを鳴らし、時間だ、と短く別れの挨拶をしたランドは、身につけていないと落ちつかないのだというベスピン市長時代からのトレードマークであるマントを優雅に翻し、物思いに耽るジェダイ騎士を一人残して去っていった。
手の中で温もりを失っていく飲み物を思い出したように一口含むと、先刻より少しだけ味気ない甘味と微かな苦味が舌の上に広がった。
ハン、あんたは今、何を考えてる…?
年上の恋人がフォースを伝って感覚を伸ばしても届かない距離にいることが、何故か急に辛く感じた。数日前に会ったばかりだというのに、ハンがコレリアで任務をこなしていたときよりずっと、あの心地良く響く低い声や、安心感をくれる力強いフォースが恋しかった。
小さくため息をついて、ルークはクリーム色のマグカップをカウンターの向こうに押しやった。立ち上がり、足元で忠犬よろしくじっと待機していたR2ユニットに声をかけた青年は、嬉しそうに甲高い電子音で返事をしたアストロメクドロイドを従えて、再び会議室へと足を向けた。