R u n  A w a y







1.







その依頼を請け負った時から、何かが起こりそうな予感があった。厳重に梱包された積荷と割が良すぎる報酬。そして依頼主の奇妙な指示。

決して積荷の中は見ないこと ──







「光速空間から出るまで二週間もかかる。まあ久しぶりに休みを取ったとでも思ってリラックスしようぜ」

ハン・ソロは操縦席でひとつのびをすると、低い唸り声で賛同を示す相棒を横目に欠伸をした。アウター・リムで引き受けたその依頼は簡単すぎるくらい単純で、ただ一つ依頼主がつきつけた奇妙な条件を除けば、危険なことは何もないはずだった。

新共和国の将軍だった男にもふさわしい仕事だ──苦笑を浮かべつつそんなことを考え、男は立ち上がった。

「幸いファルコンの調子もいいしな。俺は寝るぞ。どうせ時間はたっぷりあるんだ」

怠惰な言い草にチューバッカが喉の奥で非難めいた声を上げたが、船長は鼻を鳴らしただけでコクピットを後にした。

エンドアの戦いから三年、新共和国はどんどんその勢力を拡大していた。帝国の残党も今は成りを潜め宇宙の片隅へと追いやられている。その栄光の陰には少なからぬ軍の働きがあったが、自分のやるべきことがもうここにはないと判断したハンが軍隊に辞意を表明し昔の稼業に戻ったのは一年ほど前だった。

珍しく口笛を吹きながらシャワーへと向かう足が止まる。視線の先には貨物室。依頼主との会話が脳裏を掠める。







「中を見るな?どういうことだ、爆発物でも入ってるんじゃねぇだろうな」

積荷のデータを確認していた男の瞳に剣呑な光が宿った。射すくめられ、依頼主のトワイレックは慌てたように弁解した。

「そんなことは断じてない。もし心配なら外からいくらでも調べられるだろう。中身は一種の美術品だ──それも高額の」
「美術品ねぇ…まあいい、依頼料も悪くないしな。あんたの指定したルートじゃどうやっても二週間はかかるが」

データパッドを指ではじき、未だ完全に警戒の解かれていない瞳で相手を見やる。積荷は言われた通り後でスキャンしておく必要があるだろう。ハン・ソロ相手に爆発物を積荷に仕込むなどという見え透いた手を使う輩がいるとは思わなかったが、念を入れておくにこしたことはない。

「ああ、それでいい。わざと安全な道を選んだんだ。くれぐれも大切に扱ってくれ…」








男は再び鼻を鳴らした。高額な美術品。そんなものにこれっぽっちも興味はない。チューバッカに頼んで施した走査にも以上はなかった。しかし何か予感めいたものが収まりかけた好奇心をくすぐる。

「中は見るな、か」

にっと口の端を吊り上げ、大股で貨物室への扉へと近づいた。ロックを解除すると音もなく開いたドアの向こうからひやりとした冷気が流れ込む。無人の貨物室には生活空間に必用な空調は効いていない。乾燥しきった冷たい空気が身を包んだ。

問題の積荷は部屋の真中に静かに置かれていた。人一人が容易に入れるくらいの大きさのそれはまるで棺桶のようだった。死体でも入ってるんじゃねぇだろうな──不穏な予感がちらりと過ったが、スキャナがはじきだした結果からはそんな兆候は読み取れなかった。

銀色に光る箱にはこれといった装置が見当たらない。小さく舌打ちすると男は箱の周りをぐるりと一周した。パスワード式であれば難なく解除できる自信があったが、声紋やDNAでロックがかかっているとなると解除が困難だ。

「随分と厳重だな」

煩そうに髪をかきあげ嘆息とともに口にするその顔は笑っていた。

数時間後。男は眉間に皺を寄せ、一向に開く気配のない銀色の箱の傍らで空のマグカップを弄びながらデータパッドのディスプレイを見つめていた。チューイが片付けたスキャナを再び持ち出し何度か走査を試みたが結果は同じ。手がかりになりそうなデータは出てこなかった。

渋面のまま長時間胡座をかいて凝り固まった背筋を伸ばすために足を崩す。データパッドが膝から滑り落ちそうになり慌てて手を伸ばすと、無造作に掴んだときに出鱈目に押されたキーが画面上に見慣れないファイルを呼び出した。

「なんだ…?」

勝手に再生されたそのデータは、かつてヤヴィン第四衛星に建てられた反乱軍の基地を映し出していた。大広間に整然と並ぶ軍服や飛行服の群れの中央に敷かれた赤い絨毯の上を歩いていくのは今より若い自分の姿。そして──…

マグカップを床に下ろし、画面に見入るソロは言葉を失っていた。こんな映像がまだ残っていたとは。メダルをかけられ嬉しそうに笑う若い反乱軍員の表情から目が離せない。式典が拍手で終わると同時に映像が切り替わる。

『チューイ、もしかして録画してるの?』

祝賀会の最中なのだろう、雑音に混じって聞こえる高めの声はどこか呂律がまわらない。慣れないアルコールに青年の頬が上気している。チューイがグルグルと喉を鳴らすのが聞こえ、画面の中のルークが吹き出した。

『ハンはきっと今ごろ僕の10倍は飲んでるよ。そんなに呑んだら僕なんか立ってもいられないさ』

自分の名前が青年から発せられるのを見つめるその表情に微かな翳りが過る。苦い嘆息を洩らし、画面に吸いついた目を引き剥がした男は息を飲んだ。

ついさっきまで冷たい銀色の箱だった積荷が、透明なケースに姿を変えていた。箱の中に横たわっているのは金髪の青年。深い青の衣装を纏う青年の閉じられた瞼はぴくりとも動かなかったが、その瞳の色は容易に想像できた。

ごとり、と音をたててデータパッドが今度こそ床へと落ちる。その音も、未だ再生されたままの映像の音も、何も聞こえない。奇妙な耳鳴りと自らの鼓動がうるさいくらいに響いている。男は震える手で透明な箱に触れた。

嘘だ、そんな筈が…

懇願めいた瞳で覗き込む先に横たわるその青年は、生きているのか死んでいるのかもわからない。震えが止まらない手がケースの表面をぎこちなく這った。

「──…ルーク」

喉の奥から搾り出された自分の声が遠くで聞こえた。掠れた声が沈黙を揺らした刹那、青年の睫毛が微かに揺れるのを見たのは気のせいだろうか。息を詰め、男は祈るように安らかな顔を見つめた。

「ルーク」

呪文のように響いたそれは思ったよりもずっと落ち着いていた。薄暗い部屋の中、琥珀色の睫毛が揺れてゆっくりと瞼が開く。吸い込まれそうな蒼い瞳。何度か瞬きをして泳いだ視線が覗き込む男の方へ向けられた。

全身に電流が走ったようだった。瞬きも呼吸も忘れ見つめ返す男の顔から肩、腕へと視線で辿り、ケースの中の青年が黒い手袋に包まれた指先でガラス越しの手に触れた。

まるで結界が解けるように、二人を隔てていた壁が消える。直接触れた感触が灼熱のように男の指先を焼き、身体が強張った。それを見た青年は、ふわりと笑みを浮かべた。

喉を鳴らし食い入るような視線を向ける男の思考を読み取ったように、青年が両腕を伸ばし男へと縋る。ゆっくりと身を起こし、青年はケースの上に屈む男の首に腕を回した。

口づけられていることに気づいたのは、何秒かが過ぎ去った後だった。








2.






「あんたは、僕のマスターじゃないね」

冷たい唇に薄い笑みを乗せ、蒼い目の青年は淡々と告げた。
自分はルーク・スカイウォーカーのレプリカントだ、と。

青年をコクピットに連れて行くと、毛むくじゃらの副操縦士は唸り声一つあげることすらしなかった。褐色の毛皮の奥に光る瞳に映ったのは驚愕、次いで複雑な感情の色。じっと青年を見つめた後、チューバッカは小さく喉を鳴らした。

「…よろしく、チューバッカ」

言葉が通じることが当たり前のように静かに返事をした青年を振り向くと、驚いた男を笑うように空色の対が得意気にきらりと光った。

「ウーキーの言葉がわかるのか」
「インプットされてるからね」

言葉をなくした男の横をすり抜け、レプリカントの青年は操縦席へと近づいた。

「真っ暗だ」

ぽつりと落とされた言葉に、ウーキーが低い声で短く応えた。

「うん、知ってる。どうせならジャンプの瞬間を見たかったな」

微笑みながら相棒と会話する青年の姿はしまい込んであったはずの記憶を呼び覚ます。身のこなしや声までが同じだなどと誰が予想できただろう。ただひとつ違うのは、青年が纏う静かな空気だった。

ちがう。あいつじゃない。

目の前にいるのは、無邪気な笑顔で見るもの全てに興味を示しくるくると表情を変えていたかつての辺境惑星出身の青年ではない。

あいつじゃないんだ。

いくらそう言い聞かせても、壊れた蛇口のようにいらない記憶を溢れさせる思考回路はそう簡単に止まってはくれない。いたたまれなくなり、男は青年の細い手首を掴んでその場所から逃げ出していた。

「どうして…」

船長室のドアを閉めて、手を引かれるままついてきた青年を壁際に追い詰める。まっすぐな視線を向けてくる端正な顔の両側についた手は震えていた。互いの吐息を感じる程の距離で、苦しげに歪む自分の顔だけが青い瞳に映っている。

「どうして、お前は…」

質問の続きは声にならなかった。掠れた自分の声を嘲笑う余裕もない。いっそこの瞳に吸い込まれてしまえば楽かもしれない。

「キスしてほしそうに見えたから」

息を飲む音だけが狭い空間に響いた。

それが聞きたかったんでしょう?と見上げてくる青年の腕が首に絡みつくのを、拒むこともできずに立ち尽くす。先刻触れた唇が急に熱を持ったような錯覚。

「今度はあんたからキスしてよ」

全身が縛られたように動かない。目だけが意思を持って、深く蒼く誘う対を見つめ返していた。どれくらいそうしていたのか、数秒だったのか数分経っていたのか。それすらわからなかった。

ハン、と名前を呼ばれ。
呪縛が解けた。

二度目に触れた唇は変わらず冷たく、熱をぶつけるように何度も噛み付くようなキスを求めた。時折洩れるくぐもった声が思考をさらに麻痺させていく。

足りない、と飢えた身体が悲鳴を上げた。苦しいのは絶え間ない口づけの所為だけではなく、無理矢理に覚醒させられた欲望が行き場を失い獣じみた衝動へと姿を変えていく。

ちがう。

華奢な青年の肩を掴み力任せに引き剥がす。荒い息づかいと壊れそうな心臓の音と。壁に押し付けられたまま、青年が薄く笑った。

「試してみないの?」

甘い声で囁き、遠ざけた熱が再びじわりと距離をつめた。

「あんたのルークより、抱き心地がいいと思うよ」

拒んでしまうにはあまりに甘美なその誘惑に、男は堕ちた。







「お前は、何の目的で…」

気だるい余韻の中で口にした問いは、淫らな空気に満ちたままの船室にやけに大きく響いた。作られた、という言葉を飲み込むと、見透かしたように青年が肩を揺らした。触れ合う肌はまだ熱をはらんでいるのに、蒼い瞳はどこまでも冷たく、それでいてどこか妖艶な光を放っていた。

「寝台に連れ込んでおいて、それを言うの?」

揶揄の響きを滲ませ聞きなれた声が応える。くせのあるブロンドがシーツの波にさらりと広がった。

「あんたのルークは人気者なんだよ」

あんたが思うよりずっとね、と笑みを崩さぬまま呟く青年の指が触れてくるのを何も言えずに見つめる。滑らかな指先が男の顎に残る傷跡を掠め、愛おしむように何度か唇の下を行き来した。

「ルーク・スカイウォーカーは、あんただけのものじゃなかったんだ」

何故かその言葉に目がくらむほどの憤りを覚え、気づいたときには自分より華奢な身体を乱れたシーツの上に組み敷いていた。誘惑に引きずり込まれ貪欲に肌を重ねた先刻の行為よりきつく捕らえた手首を押さえつけ、意識を赤黒く塗りつぶす怒りに我を忘れる。

「機械に何がわかるってんだ」

噛みしめた歯の間から搾り出した声は酷く掠れていた。

「僕が憎いの?」

なんでもないことを訊ねるように、屈託のない声音で青年は言った。

「それは僕が機械だから?それとも、ルーク・スカイウォーカーの姿をしてるから?」

沈黙しか返ってこないことを知っていたかのように、青年はにっこりと微笑んだ。それが男を縛りつけてやまないことも知っているのだといわんばかりに。

「でもあんたには僕を壊せない」

何時の間にか力が緩んでいた手は難なく解かれ、男の肩口にふわりと蜜色の髪が触れた。微かな吐息を耳朶に感じて息を詰めるソロを面白がるように、言葉が紡がれる。

「あんたが決めればいい。僕をあのハコに戻すのも、寝台にしばりつけるのも、今は全部…」

あんたの自由だ。

「ああそうだ。お前を依頼主に送り届けるまでは、俺がお前の──」

胸の奥でざわりとさざ波が立つ。絶え間なく与えられる快楽に時折わななく唇も、首に回されたしなやかな腕も、全て作り物だ。

ルーク

満たされた飢えとはべつの渇きを覚えながら、同じだけの熱を求めるしか術がない。

「ルーク」

戸惑いや躊躇いを全て振り切るように、何度もその名を呼ぶ。青年の瞳は熱に溺れることはなく、口づけは冷たいままだった。拭いきれない違和感を覚えながらも、それを押し流すほどの欲望に身を任せ、男は従順な肢体を貪った。







エンジンの機嫌がいい時は他の機械の調子が悪くなるもので、大柄なウーキーは床に座り込んでフードプロセッサーを解体していた。ギャリースペースの入り口に凭れて、男はこちらに背を向ける副操縦士に呼びかけた。

「届け先に着くまで、あいつはあのままにする」

振り向いた相棒の眼はいっそ憎らしいほど落ち着いていて、全てを見透かされているようだった。チューバッカは最後に短く了解の意を示すと修理の続きに取り掛かった。

「何をやってんだ、俺は…」

苦い嘆息は誰に聞かれることもなく、船の乾いた床に壁に頼りなくぶつかり転がった。








3.






ファルコン号の臨時クルーになった青年は、その奇妙な共同生活に難なく溶け込んだ。
ずっと前からこうしていたような錯覚すら抱かせる時間には、しかし誰も口にしようとしない違和感があった。

空調のメンテナンスを終えた男が工具箱を片手に操縦席に立ち寄ったとき、青年は船長の椅子に座って真っ暗な宇宙を見つめていた。その光景に目を奪われコクピットの入り口でしばらくの間立ち止まっていた。

青年が瞬きをしないことに気づいたのは、何度目かの行為の最中だった。情欲に塗れていても、彼の青い瞳はどこまでも冷たい。まるで海を思い出させる青い対は今は星のない虚空を映していた。

一枚の絵のように、その空間だけが時を刻むことを拒んでいるた。ソロが瞬きをした瞬間、青年は小さく息をつき顔をこちらへと向けた。

途端、胸にざわめいたのは後悔だった。瞬きをしなければ息を飲むほどの光景を失わずにすんだのだろうかと、ありえない思いが閃いては消える。自分自身を否定するように、男は内心で悪態をついた。

「あんたでも何かに見蕩れることがあるんだ」

こともなげにそう言われ、ソロはつい間の抜けた声で聞き返した。青年はつまらなそうに膝に置かれたままになっていた小さなホログラムプレーヤーを起動させた。沈黙の中に小さな電子音が響く。

「人魚って本当にいると思う?」
「なんだ?いきなり…お伽話でも読んでたのか」

突拍子もない言葉に戸惑い、操縦席の背もたれに手をかけ青年の表情を覗き込むと、金髪のレプリカントは素っ気無くいくつかの寓話のタイトルを挙げた。膝の上で映し出される少し擦れたホログラムに目をやると、それが人魚姫だと青年が呟いた。

「ニンゲンの王子様が欲しくなって声も海も全部手放したくせに、相手が他の女と結婚するのを指をくわえて見送った挙句に泡になって死んじゃった馬鹿なお姫様の話だよ」

感情の篭もらない声音で淡々とストーリーを語る口元には、微かな笑みさえ浮かんではいない。男は手を伸ばし、青年の手から小さな機械を取り上げた。

「…そんな話だったか?」

訝しげに眉を寄せ記憶を手繰る。

「欲しいものが永遠に手に入る方法を教えてもらっておいて、みすみす諦めるなんて…」

言いかけて青年は突然口をつぐんだ。

「こんなもんがこの船にあったなんてな。チューイが出してきたのか?」
「そう。暇つぶしに、って」

言いながら、青年は胸ポケットから何枚かのメモリディスクを出してみせた。手の中で何度か小さな機械を裏返し、機械の底の製造場所がコレリアになっているのを何気なく確認すると、男はそれを青年に返した。

「それで?本当にいると思う?」

唐突に話を元に戻され言葉につまる男を上目遣いで見やり、レプリカントの青年は『人魚』とつけたした。実際に見たことはないと応えてやると、なぁんだ、とつまらなそうに目を伏せる。

「あんたなら見たことあるかと思ったんだけどな」

ぽつりと落とされた言葉はいつもの皮肉めいた口調とは違い、幼い子供の他愛ない我侭のようで。笑みを浮かべる自分に気づかないまま、男は昔どこかで聞いた『人魚』の噂を話して聞かせた。

少々誇張された思い出話に大人しく耳を傾けていた青年は、男が話し終わるタイミングを見計らい、ねぇ、と切り出した。

「ホログラムにも、飽きたんだけど」

気づけば青い瞳が意味ありげな視線を投げかけていた。手の中のディスクを弄びながら、面白い昔話もいいけど、と一瞬言葉を止めて、青年が微笑む。

「ソロ船長は、まだ忙しい?」

一瞬で空気が変わったのを感じて、ソロはコクピットの入り口に放り出したままの工具箱を拾い上げた。

「四六時中お前の相手をしてるわけにもいかないんでな」
「僕があんたの相手をしてる、の間違いだよ」

操縦席に座った青年に背を向けた男へ、揶揄を含んだ言葉が投げられた。
青年が操縦席から立ち上がったのを気配で感じ取り、ため息まじりの悪態をつく。

どうせ誘惑に抗えないことはわかっている。
無駄な抵抗はやめてしまおうか。

細い身体を抱き寄せ壁際に追い詰めると、青年の手から起動されたままの小さな機械が無機質な音をたて床に落ちた。性急な口づけは容易く歯列を割り、熱い舌が絡み合う卑猥な音に正常な思考は麻痺してしまう。下腹部に確かな熱を孕む昂ぶりを押し付けられ、角度をかえ何度も交わされるキスの合間にどちらのものともつかないくぐもった声が洩れた。

シャツを掴んでいた青年の手が肩へと這い上がり、両腕が首に縋り付く。衣服ごしの抱擁に焦れたように、細い指が男のシャツのボタンにかかる。その手を制し、空いた方の手で名残惜しげに青年の唇をなぞるとソロは身体を離した。

「やめるの?」

上気した顔を上げ青年が問う。

「コクピットでやるのはルール違反なんでな」

男は口の端をつりあげ不適な笑みを見せた。

「チューバッカを怒らせるのが恐いんだ?」

青年の指先が顎に残る傷跡を掠める。力を入れれば折れてしまいそうなその細い指を無骨な手が掴み取り、邪魔臭そうに顔の前から除けた。

「なんならためしてみるか?ウーキーを怒らせるのは得策とはいえないぜ…覚えておくんだな」

言い終わると同時に再び青年の唇を貪る。先刻交わされたそれに比べれば短すぎる口づけに不服そうなため息をついたのは青年の方だった。物欲しげに男を見上げる瞳の中に何かが閃き、青年はソロの得意なその表情にも劣らぬ程不適な笑みを浮かべた。

「…わかった。それはメモリから消さないようにするよ」

さっと自分の顔色が変わったのがわかる。これは彼の仕掛けるゲームなのだろうか。

俺が挑発に乗ることが狙いなのか?

頭の中でいくら問い掛けても、目の前の整った相貌は一つのヒントも与えてはくれない。不意に込みあげたどす黒い怒りに身を任せ、男は青年の肩におかれた手に痣が残るほど力を込めながら、その耳元に低い囁きを落とした。

「寝室に行け。今すぐ、だ」







何度目なのかもうわからない程、昼夜を問わず二人の定位置になってしまっている船長室の寝台は、汗ばんだ肌が擦れる音で満ちている。憤りに流されたまま行為に傾れ込むのも一度や二度のことではない。

「痛い目に遭うのが好きなのか?」

項に這わせた唇で首筋の薄く敏感な皮膚をきつく吸い上げる。欲望に掠れた声を青年の耳元に落とし、応えを口にしようとする瞬間を見計らい突き上げると艶めいた声が船室に響いた。

「それ、は、あんたの方、じゃ…」

弾む吐息の間から返される応えは最後まで口にされることなく、声にならない悲鳴に変わっていく。シーツを握り締める指先が白くなるほど激しく攻め立て、青年がインプットされた絶頂を迎える寸前、行為は前触れもなく中断された。

互いの荒い息遣いと鼓動だけが五感を支配している。堪えきれず、強請るように揺れた腰を押さえつけ、ソロは嘲笑を含んだ声音で低く囁いた。

「機械のくせに自分でコントロールも出来ないのか?」

悪趣味な設計者だな、と呟いた言葉は、行為に溺れる青年の耳にはもう既に届いていないだろう。いつもより早く現実がひたひたと思考を侵しはじめるのを感じて、男は呪文のように青年の偽りの名を呼んだ。








4.






「僕をどうするつもり?」

いつものように細かいメンテ作業に勤しむソロの背中に、先刻お節介な相棒にかけられた言葉と同じフレーズが降ってきた。舌打ちしたい気分で、男は青年に背を向けたまま応えた。

「あと20時間で光速空間を出る。お前は持ち主のところに落ち着く」

予定通りだ、と手を休めずに淡々と告げる。苛立ちと焦燥でささくれ立った五感は青年の問いが微かに震えていることに気づくことができなかった。

くそっ、あのお喋りな毛むくじゃらは何処をほっつき歩いてるんだ?

新しいヒューズがないとそれ以上作業が進められそうにない。

「チューイ!まだか?」

苛立ちを多分に含んだ怒鳴り声を上げながら振り向いた男の目にとびこんできたのは、自分には一度も向けられたことのない、それでいて他のどんなブラスターより見慣れた銃口だった。

反射的に腰を探った手が虚しく空を切る。狭い機器の隙間に入り込む時にひっかかるのが億劫で、ホルスターは先刻はずしたままだった。

「チューバッカなら、あと数時間は眠ったままだと思うよ」

表情のない整った顔はぞっとする程に美しい。男は青く冷たい眼差しに負けじと青年を睨み返した。

「チューイに何を…」

言いかけた刹那だった。一瞬、何が起きたのかわからなかった。左肩に衝撃が走り、次いで壁に打ち付けられた背中の衝撃、そして最後に目が眩むような熱と激痛が全身を貫く。

喉の奥から搾り出された苦悶の声を洩らさぬよう、噛みしめた唇がぶつりと切れる。口内に広がる鉄の味と、背をつけたままずり落ちた壁に擦りつけられた赤黒い染みの咽るような臭い。

痛みと驚愕に揺さぶられた思考が、それでも必死に状況を判断しようと足掻いている。

自分を狙っているのが攻撃した本人だとは限らない。仕組まれたことだったのか、生き延びる為にはどんな行動を取ればいいのか──防衛本能そのものが意思をもったかのように、苦痛で明滅する意識の中、幾つものパターンがめまぐるしく浮かんでは消える。

「な…んで…」

諦めたように掠れた声で問いかけると、青年は小さく微笑んだ。構えたままだったブラスターを下ろし、手の中で弄び始める。

「あんたがここ数日苛々してたから。ゆっくり話しがしたかったんだ」

優雅ともいえる動作でソロの前に跪き、青年は男の顔を覗き込んだ。

「荒っぽいやり方は嫌いだった?」

罪の意識を微塵も感じさせない物言いに腹立ちを覚える余裕はなく、呼吸する度、心臓が脈打つ度に体躯を焼く激痛を堪え奥歯を噛みしめることしかできない。

「ブラスターに撃たれた傷って、時間が経つごとに痛みを増すって、ほんと?」

無邪気な声音はいっそ楽しげだった。

「く、そ…ッ」

食いしばった歯の間から悪態をつき、救いを求めるように青年の瞳に焦点を合わせる。

「あんたの言った通り、趣味の悪い設計者なんだ」

言った通り…?

そういえばそんなことを口にしたかもしれない。ちらりと脳裏を過った記憶の欠片を手繰ろうともせず、男は荒い息を落ち着かせることだけに集中しようとした。

「いっそのこと、僕が本当のルークだってインプットしてくれればよかった──余計な回路なんかいらなかったのに」

ずきずきと容赦なく攻め立てる傷の痛みを少しでも追いやろうと目を閉じた男には、その言葉を吐き捨てた青年の苦しげな表情は見えない。しばし訪れた沈黙の中、血の匂いを染み付かせた床に乾いた笑いが落ちた。

「一ついいことを教えてあげる。『ルーク』はきっとあんたを愛してた」

なに、を…言って……?

重い瞼を押し上げどうにか目を開くと、青年の顔には歪んだ笑みが貼り付いていた。

「何よりの証拠が目の前にいるのに。…馬鹿だね、ハン」

言い終わると同時に笑みはかき消え、躊躇いがちな指先が血の気を失ったソロの唇を掠めた。指を追いかけるように唇が重なる。

血の滲むその場所を青年は猫のような仕草で舐めあげた。目を細めて穏やかに微笑み、青年は冷たい汗ではりついた男の前髪を除けて苦痛に歪む顔を見下ろした。

「人魚姫の話を、覚えてる…?」

青年の声は血なまぐさい空気に不釣合いな程落ち着きはらっていた。

「王子を刺せば彼女は最愛の相手を永遠に自分だけのものにした上に、元の生活に戻ることができるのに…って、あのときはそう思った。でも彼女は王子を殺したところで彼を手に入れることなんて出来なかった──僕と同じで、相手が自分を見ていないから」

言葉を止めて俯いた青年の表情は前髪の影に隠れて見えなかった。

「あんたはルークの亡霊に囚われてる。僕があんたに惹かれたのだって、『ルーク』のデータに導かれた結果に過ぎないんだとしたら…?僕には帰る場所なんてない。あんたを殺したところで何も手に入らないなら、全部終わりにした方がいい…──」

唄うように滑らかな青年の言葉を聴くうちに、ほんの一瞬だけ意識を手放していたのかもしれない。頬に触れた手にびくりと反応した身体が焼けるような痛みを訴え、居心地のいい混沌に落ちかけていた思考を無理矢理引きずり上げた。

「あんたは僕に…『ルーク』に、殺されたいんでしょう?」

ああ、そうかもしれない。

その言葉には、痛みの限界を超えた神経を麻痺させる甘美な響きがあった。
無言の肯定を受けて青年は言葉を重ねる。

「あんたの態度…最初は、僕が憎いんだと思った。でも違った」

あんたは僕を怒らせたかったんだ──挑むように、青年は言った。

「一人だけ楽になりたいと思ってるんでしょう?」

知らぬ間に、口端に笑みが浮かんでいた。自分を嘲っているのか、無意識の願望を見抜いたレプリカントの青年に感心しているのか、それとも遂に狂ってしまったのか。それすらもう判断できなかった。

それを狂ってるって言うんじゃねぇのか…?

何処か遠くでまだ冷静な自分が呟いた。

「殺してなんかやらない」

一人で苦しめばいい。そう付け足したように聞こえた。遠のきかける意識は、囁きに近い青年の言葉を巧く聞き取れなかった。華奢な右手に持ち替えられた無骨な銃は、何時の間にか青年のこめかみに当てられていた。

その事実よりも、男は青年の表情に魅入られた。今まで見せたことのない感情を内包する瞳から目が離せなかった。

かちり、と引き金が引かれる音がやけに安っぽく響く。

音のない映画を見ているようで、現実感などまるでなかった。火を噴いたブラスターと倒れる青年を身動ぎもせずに見つめる。

乾いた音と共にブラスターが床に落ちる。

それを聞いたのを最後に、残酷な優しさで意識をからめとる闇に抗うことなく、男は気を失った。










「ハン」

夢を見ているのかと思った。
そうでなければきっと、自分は幻覚を見るほど狂ってしまっているのだと。

「どうして、ここに…」

絞り出した声はひどく掠れていた。名前を呼んでしまえば、その姿が消えてしまう気がした。

「チューイに呼ばれて来たんだ」

酷く狼狽している自分に戸惑いながら、霧がかかったような意識が少しづつ晴れるのを待つ。清潔というより潔癖な印象の白い天井と白い壁。微かな薬品の匂いが立ち込める空間で、周囲とは対照的な黒を纏う青年の蜜色の髪が揺れた。

「出血が酷かったから一時は危なかったそうだけど、腕は元通り使えるようになるよ」

ベッドサイドの椅子に浅く腰掛け、目を伏せながら言葉少なに語るルークの姿は数年前に別れた時と殆ど変わっていなかった。触れて、確かめたい──手を伸ばしたい衝動にかられ、同時に込み上げた感情に戸惑い身じろいだ途端、肩に刺すような痛みを感じて男は呻いた。

宥めるような手が負傷していない右肩に触れた。伝わる微かな温もりに、青年の存在が幻ではないと知る。痛みを洗い流すような安堵感にため息をつくと、ずり落ちた毛布を整えたその手が頬に触れ額に押しあてられた。

「熱は下がったみたいだね…先生を呼んでくる」

小さく微笑み、立ち上がって離れて行く青年のその手首を男の手が捉えた。
黙ってこちらを見つめる青年の瞳に吸い込まれてしまいそうで、乱れた鼓動を感じながら男は青年の手首を掴んだまま起き上がった。

そんな単純な動作さえ弱りきった身体では困難で。それでも渾身の力を込めて華奢な身体を抱き寄せ、腕の中に閉じ込める。

「ルーク」

されるがままの青年はなんの反応も返さない。それでもよかった。想い焦がれた存在がここに、腕の中にいるという事実だけで、押しつぶされそうな喪失感が薄れていく気がしていた。永い悪夢を見ていたような気分だった。伝えたいことが山ほどある。しかし今は、やっとのことで取り戻した温もりを確かめていたかった。

「ルーク…」

震える声で何度も愛しい名を呼ぶ。何度呼んでも呼び足りない気がした。纏わりつく影を振り払うように、男はその名前を繰り返した。

身動ぎひとつしない青年の目線の先に、病室の白い壁を四角く切り抜く窓があった。
男の肩越しに青く深く輝く瞳は、窓の外に果てしなく広がる蒼穹を

瞬きをせずに、見つめていた。








E n d .







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