sky



─ Luke ─






乾いた風に砂色の髪が揺れ、何かに呼ばれた気がして彼は顔を上げた。古びた小さな井戸の傍らで乾ききった荒野に応えを求めるように小さな自分をとりまくパノラマをぐるりと見渡し、空と地平線が交わる遠くを見ようと、ルークは蒼穹の色を映す大きな瞳を細めた。

「誰…?」

応えが返ってくるはずもなかったが、少年は水を汲み上げる手を止めたまま目を閉じ耳をすました。

小さな予感。

物心がついた頃からずっと、何かが起こる前には必ず、言葉に出来ない何かを感じてきた。悪い報せならばそれはいつも決まってちりちりと鳥肌の立つような不快な寒気で、良い報せであれば理由も無く走り出したくなるようなわくわく感が体の奥からこみあげてくる。

今ルークの五感に訴えかけてきているそれはそのどちらでもない。何かとても大事なことだ、と、少年はそれだけを理解した。

昔、まだ育て親の叔父と叔母が生きていた頃。連れていってもらった遠くの街で、見知らぬ老人に「それは類稀ない能力だ」と誉められたことがあった。話したわけでもないのに何故それを知っているのか、結局聞けずじまいだった。みすぼらしい成りをした老人を煙たがった叔父がルークの手を引いてその場から離れたからだった。

オーウェンの目を盗んでこっそり振りかえったとき自分を見つめていた老人の瞳を、何故か今でも鮮明に思い出すことが出来る。

止まっていた手を動かしたっぷりと水をたたえた桶を引き上げると、ルークは慣れた手つきで足元に置かれたもう一つの桶に水をあけた。かなりの重量があるそれを両手で持つと、少年は細身の体つきを裏切るしっかりとした歩みで家へと向かう。

荒野に溶けこむように建てられた平屋の扉を器用に足で押し開けて、ルークは部屋の隅に置かれたスツールの上に重い桶を下ろした。

屈んだ少年の開いたチュニックの襟から、しゃらりと鉛色のチェーンがこぼれ落ちる。汲んできたばかりの水に飛び込もうとしている細い鎖を、少年の手が水面に着く直前に捕らえた。上体を起こし、ルークは首にかけていたそれが鈍い銀の光を反射するのを少しの間見つめていた。

古びたチェーンは少し長すぎるようだったが、少年はそんなことを気にする様子もなく大事そうにチュニックの中に銀色のネックレスをしまいこんだ。服の上からたしかめるようにその冷たい金属に触れて、ルークは微かに微笑んだ。

ひとつため息をついて、開けはなしてあった扉に向き直った少年は外に広がる蒼穹を見上げた。青い絵の具を溶かしたような空はどこまでも高く澄んでいる。

地平線の近く、筆で描かれたような雲の狭間にきらりと何かが光った。

鼓動が跳ねて、吹きこんできた風に揺れる蜜色の髪の先からつまさきまで静電気のような感覚が走り抜ける。きっとあれが、予感の正体──頭でそう認識するよりも早く、ルークは壁にかかった双眼鏡を引ったくるようにつかんで家を飛び出していた。

どんどん大きくなるそれは、降りてきているというより落ちてきていると言った方が正しいような軌跡を描いている。高鳴る鼓動を抑えて、少年は予想し得る落下地点を目指して走った。

鳥のような姿をしたそれは真っ直ぐ地面に突っ込んでいくかと思われたが、地に叩きつけられる寸前に鼻先を持ち上げ、その脚でどうにか体を支えて降り立った。がりがりと溝を刻みながら速度を下げ、大きな翼は荒野の真中でやっと停止した。

動きが止まってすぐ、二枚羽のすぐ後ろにある穴から人影が覗いた。素早い身のこなしで飛び降りようとした男は何故か一瞬だけ躊躇した。しかし何かを振りきるように、額から外したゴーグルを投げ捨て駆け足でこちらへと向かってくる。

そこで初めて周囲の様子が目に入ったらしく、立ち尽くすルークに気づいたその男がぎょっとしたように目を見開く。ほんの一瞬戸惑った様子を見せ、足を止めずに険しい表情を浮かべた男は怒鳴った。

「馬鹿野郎!伏せろ!!」

身を竦ませ後ずさる間もなく、肩を力強い手で掴まれルークの視界は反転した。手にしていた双眼鏡が滑り落ち、ガシャンと痛々しげな悲鳴をあげる。

どさり、という音と共に背中に響いた衝撃で、やっと地面に倒れたのだと気づく。間をおかず響いた爆発音に声にならない悲鳴を上げれば肩にまわされていた腕に力がこめられた。密着した体の緊張を感じ取り、呼吸をすることも忘れて身じろぎ一つせずにじっとしていた少年は、男が顔を上げ爆発音のした方向を振り返るのを見て瞳を瞬かせた。

ほっと息をつき緊張を解いた男が起き上がり、年季の入った飴色の上着についた土埃をはらうと少年を見おろす。

「…悪かったな」

一言ぼそりと呟いて立ちあがり、男がこちらへと手を差し伸べる。魔法にかけられたように身動き出来ずにいる少年は、逆光になった身体の肩越しに照りつける太陽に目を細めた。

先刻まであれほど激しく自己主張していた心臓は、すっかり普段通りに戻っていた。なのに金縛りにあったように動けない少年の身体の中は、まるで風のない平野のようで。唯一自由の利く瞳でじっと見上げれば、こちらへと向けられたヘイゼルグレーの瞳が戸惑いを孕んで揺れた。

意図せずに止めていた息を吐き、ルークはすうと深呼吸した。凪いでいた風が急に動き出したような感覚。

「あなたは、天使?」

やっと口をついた言葉は少し掠れていた。戸惑ったような男の表情が、更に困惑を色濃く映したそれへと変わる。

「…生憎、俺は天使じゃない」

低い声で男が言った。それはどこか苦々しい響きを含んでいて、ルークは言葉を返せないでいた。自分は何かこの男の気に障ることを言ってしまったのだろうか。

黙り込んでしまった少年を横目で伺いながら、男は地面に落ちたままになっていた双眼鏡を拾い上げた。壊れていないかどうかを確かめこちらへと差し出す。微かな逡巡の後、ルークが小さくありがとうと呟くと、見知らぬ訪問者はほんの少しだけ表情を和らげた。

「ハン・ソロだ。見ての通り飛行機乗りをやってる。…お前は、この近くに住んでるのか、坊や?」

再度差し出された手を今度は躊躇うことなく掴んで、ルークは立ちあがった。真っ直ぐ背筋を伸ばしても少年の背丈は男より拳ふたつ分ほど低い。ソロと名乗る彼と目を合わせるためにはルークの方が見上げる格好になった。

「僕はルーク。ルーク・スカイウォーカー」

『坊や』じゃない、という反論を寸でのところで飲み込んで、少年は家の方角を指差しあれが自分の家だと示してみせた。怪我は無いかと問われ首を振ると、ソロは安堵の表情を見せた。転んだおかげで埃だらけになった服をぱたぱたとはたいて、ルークは爆発した乗り物の方へと歩いていく男の後を追った。

「あの鳥はどうして落ちたの?」

少年の言葉を面白がるように、ソロは口の端を上げて少し笑った。

「エンジントラブルだ。メンテナンスはしっかりしてるつもりだったんだがな」

その台詞の後半は、ルークに対してではなく、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。大股で歩く男について行くために小走りになりながら、少年はその不思議な遭遇者を見上げた。

揺るぎ無い自信を感じさせる引き締まった体躯と、よく見れば端正な横顔。そのすべてが、自分とは違う世界から来たかのような雰囲気を纏っている。

ルークの視線に気づいたようにハシバミ色の瞳が少年の方へ向けられた。そこで初めて、会ったばかりの相手をじっと見つめてしまっていたことに気づき、ルークは目を逸らした。

「ごめん、なさい。ええと、ミスタ・ソロ…」
「ハンでいい」

驚いて立ち止まると、相手も足を止めて振り向いた。首を傾げて見上げる少年に向かって男は堅苦しいのは嫌いなんだ、と肩をすくめてみせた。心の奥の、どこかとても深いところから湧きあがってくる何かが身体中を満たしていくのを感じる。

「ハン」
「何だ」
「なんでもない。呼んでみたかったんだ」

変な奴だな、と低く笑うソロの大きな手に髪を乱され、飛びはねたくなるような高揚感が笑顔に変わるのを少年は抑えきれずにいた。







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