C a t c h
M e
I f
Y o u
D a r e
深夜の静寂を切り裂く無粋なインターホンの音に、ルーク・スカイウォーカーは眉を顰めた。会議が長引いて帰宅したのはついさっきで、シャワーを浴びて寝室に入った矢先のことだった。緊急事態ならば、また会議室にとんぼ返りだ。やっとたどりついた寝台の心地良さを振り払うように勢いをつけて立ちあがると、ルークはベッドサイドの肱掛椅子にかけてあったガウンを纏い、訪問者を迎えるために玄関へと向った。
玄関先を映し出すモニターを一目見て、青年は急いでロックを解除した。
「ハン…!?」
「よう、キッド」
ドアが開いた途端倒れこんできた男の身体から立ち上る間違えようもない酒と煙草の匂いに思わず顔をしかめる。こんな様子で、よくマンションのロビーに控えるセキュリティドロイドに止められなかったものだ。
「まさか運転してきたんじゃないだろうね」
非難めいた台詞を投げられ、ハン・ソロは呂律の回らない舌でエアタクシーを使ったことを告げた。ほっと安堵のため息をつくと、青年は足元がふらついている男の腕を取り大きな身体を支えた。
「あんたがこれだけ酔うなんて、一体何軒分のバーの酒を飲み干してきたんだい?」
笑えない冗談に反撃する余裕もないようで、半ば引きずられるように居間にたどりついた男はどうにか青年の肩を離れて殺風景なリビングに置かれたグレーのカウチにどさりと身体を投げ出した。突っ伏したままの男のためにキッチンで冷たい水を用意する。居間に戻った青年は軽く男の肩を揺さぶった。カウチの傍らに膝をついて、手負いの獣のようにくぐもった唸り声をあげている年上の友人に水の入ったグラスを差し出す。
「ハン、とりあえず、水は飲んでおいた方がいいと思うよ」
温かいものがいいならお茶でもいれるけど、と続ける青年を制して、男は不明瞭な呟きを発した。大きく息を吐いて身を起こすと、ハンはグラスを受け取り一気に冷たい水を呷った。
「気分はどう」
「最悪だ」
それならいつも通りだね、と言い置いて、ルークはグラスを受け取り立ちあがった。
「そこでよければ泊まっていくといい、この時間じゃもうタクシーも捕まらないだろう」
わかってると思うけど、と前置きして、毛布はクローゼットの中にあるよとそっけなく言った。再びカウチに沈んでしまった友人の頭上で一つ小さくため息をつき、ガウンをかきよせキッチンへと向うルークの腕を突然延びてきた無骨な手が掴んだ。驚いて見下ろした先、先刻よりしっかりとした光を放つヘイゼルの対が青年の視線を受け止めた。
「目が覚めちまった」
置きあがり少々よろめいた男を支えようと手を伸ばした青年は、続く言葉に絶句した。
「この間俺が置いていったブランデーはどうした」
どうせお前は一人じゃ一滴も飲まないだろう、などとぶつぶつ呟きながら、年上の友人は意外にしっかりした足取りでキッチンへと向かった。潔癖すぎるほどに白いダイニングテーブルに置かれたものを見た男が片方の眉を上げ青年を振り返る。所在なさげにぽつんと置かれたボトルの中身は、ほんの少しだが量が減っていた。
「紅茶に入れて、飲んだんだよ」
肩をすくめ、ルークは椅子にどかりと腰を下ろしたハンの後ろにある食器棚からグラスを二つ取り出した。
「もう飲むなとは言わないのか」
「僕が止めたって飲むじゃないか」
フリーザーから取り出した氷を一年ほど前に引っ越し祝いと称して贈られた氷入れに放り込む。透明な欠片が金属にあたってカラカラと涼しげな音をたてた。新しいミネラルウォーターのボトルを冷蔵庫から取り出し、男の向かい側の席につく。
「一杯だけ、つきあうよ」
グラスに氷を入れて酒を用意する間、男は青年の手元をぼんやりと見つめていた。差し出したグラスを引き寄せ一口含むと、ハンは顔をしかめた。
「キッド、薄め過ぎだ」
「将軍殿に急性アルコール中毒になってほしくないからね」
すました顔でグラスを傾けると、年上の操縦士は反論を諦めたようだった。
決して居心地が悪いわけではない沈黙の中、男は切り出す言葉を探していた。
「…レイアと別れた」
視線の先で、ほの白い光に照らされた青年の手がぴくり、と反応を見せた。しん、と静寂がその場の空気を満たして、無意識に息を詰める。
「理由は聞かないのか」
八つ当たりのような言葉を吐き捨てると酒とも呼べない液体で満たされたグラスを空にして、男は白いなめらかなテーブルにセピア色の影を落とすブランデーのボトルに手を伸ばした。
「…部外者の僕が詮索するようなことじゃないよ」
穏やかな声に無性に苛立って、顔を上げ焦点の合わない瞳で感情の読めない顔を睨みつける。
「いいから聞けよ、話したい気分なんだ」
付き合え、とどこか投げやりに言いながら、男はおぼつかない手つきでまだ半分ほど中身が残っているルークのグラスに琥珀色の液体を注いだ。
「いきなり『別れましょう』だぜ、こっちは覚悟も何もしてないってのにな」
くつくつと低く笑う手元が揺れて、零れた酒がテーブルに小さな水溜りを作った。数時間前にコルサントでも指折りの高級レストランで交わされた、会話というよりは一方的な最後通牒のような別れ話が脳裏に渦巻いていた。
お互いに仕事が忙しい日が続いていて、久しぶりに外で食事を、と連絡してきたのはレイアの方だった。堅苦しい高級料理は苦手だといういつもの文句も言わずに、上機嫌で待ち合わせた店に向った男を待ち受けていたのは、全てを悟ったような瞳と、予想もしていなかった言葉だった。
「別れましょう、ハン」
薄く微笑んで言うレイアの丁寧に結い上げられた髪に、暖かな光が落ちて綺麗だった。
「何の冗談だ?」
ぎこちなく口の端を上げて笑うと、彼女は表情を引き締めて、恋人に真剣な眼差しを向けた。食事を楽しむ客たちのざわめきや、食器が時折ぶつかってたてる柔らかいガラス音が急に遠くなったような気がした。
「本気、なのか…」
「貴方のことが好きよ。でもそれだけじゃ同じ方向に向っていけないことは、貴方もよくわかっているでしょう」
一呼吸置いてレイアは顔を上げた。再びまっすぐに男を見つめて、彼女は言った。
「あなたも私も、人生の伴侶としてお互いを必要としてないわ」
否定したかった。そんなことはないと言い返せばよかったのかもしれなかった。それでも、男は金縛りにあったように何も口にすることができなかった。
「貴方の人生に必要なのは…」
言いかけて、レイアは苦笑を浮かべた。
「きっとそれは、貴方自身がいちばんよく解ってるわね」
愛してるわ、と柔らかく微笑み、額に一つ口づけを落として彼女は席を立った。何も言えず、身じろぎ一つ出来ない男を後に残して──
ぼそぼそとまとまらない感情を吐露する年上の友人を、青年は黙って見守っていた。一通り話を終えると、男は再び低く笑った。それは先刻よりも痛々しい響きを伴って白いテーブルに落ちた。
「俺は、彼女を…」
「ハン」
どこまでも穏やかに、有無を言わせない声音で青年が言いかけた言葉をさえぎった。
「それ以上は、僕が聞くべき言葉じゃないよ」
手に握ったままだったグラスを持ち上げようとして、突如として波のような睡魔に襲われた。ぐらりと視界が揺れ、空いた片手を額にあてると、グラスを持った方の手を支えるように細い指が触れた。
「…ルーク、すまん──酔いがまわって…」
冷たい手が促すままにグラスを手放し、男はテーブルにうつ伏せた。吸いこまれるように眠りへと落ちていく男が最後に聞いたのは、どこかさびしげな囁きだった。
「おやすみ、ハン」
翌日、朝というには少し遅すぎる時間に目を覚ました男は、予想に反して頭痛にも吐き気にも襲われなかった。知らないうちにカウチに横たわり、ご丁寧に毛布までかけられて寝ていたことに気づき、コレリア出身の操縦士はどこまでも気の効く年下の友人に感謝した。
広々としたその部屋に人の気配はなく、家主はおそらく出勤した後なのだろうと勝手に納得して、尊大な態度の宿泊客は欠伸をして腕を伸ばした。
どこかふっ切れた気分でいる自分が意外だった。胸の底にわだかまる虚しさはどうしようもなかったが、昨夜酒の勢いにまかせて感情を吐き出したことが効いているのか、自棄になりそうな憤りと無気力さは消えていた。
よれよれになった煙草臭い服を洗濯機に突っ込んで、洗い終わる間にシャワーを借りた。勝手知ったる、とまではいかないが、酒を飲んでそのままルークの部屋に泊まるのは初めてではない。乾燥機から出したばかりの服を着て備え付けのフードプロセッサに遅すぎる朝食のメニューを打ちこんでいると、カウチに置きっぱなしのコムリンクが鳴った。
回線を繋ぐと同時に、聞きなれた唸り声が聞こえ、男は苦笑した。
「チューイか」
コムリンク越しに喉を鳴らすチューバッカは船長を心配していたようだった。ルークから酔いつぶれた相棒が泊まっていると連絡が入り迎えにきたのだという副操縦士は短いうなり声を出しロビーで待っていると告げた。
朝食を諦め、最後に一度ぐるりと生活感のない部屋を見渡す。それがその部屋を見る最後になるとは知らずに、男はチューバッカの待つロビーに向った。
そうして全てがいつも通りに動きだした。完全に吹っ切れてはいないという自覚はあったが、何事もなかったように振舞うことが出来ている自分にほっとする。皮肉にもレイアの言葉を肯定している自分に気づき、やりきれない気分になりはしたが、あの日にように泥酔するほど飲みたくなることはなかった。
良くも悪くも有名な人物であるハン・ソロとレイア姫の別離は瞬く間に噂になったが、外野の余計な詮索も思ったほどは気にならなかった。
コルサントのゴシップ雑誌を賑わせた破局から数週間が経過した夜。久しぶりにやっかいな会議も無く軍本部から早い時間に引き上げた男は、任務の合間の休暇でコルサントに降り立った友人から誘いを受けた。
反乱軍時代からの戦友であるウェッジ・アンティリーズも、ソロ将軍と共和国の麗しき指導者が別れたことを既に知っていた。まだ笑い話にする余裕がないと苦笑すると、黒髪の操縦士はそれ以上話題を引きずろうとしなかった。
居心地の良いバーの片隅で、久しぶりにコレリアン・ルールのサバックに興じていたとき、共通の話題として、ウェッジがルークの最近の働きぶりは異常だと冗談まじりで口にした。歳の近いジェダイの友人が企業宙域での任務を引き受けた話は、男には初耳だった。
「コーポレート・セクターだと?」
手にしたサバックカードを取り落としそうになり、慌ててテーブルに手札を伏せると男は同郷のパイロットに向き直った。
「ルークから聞いてなかったのか?」
今や新共和国軍屈指の大編隊となったローグ中隊を率いる男は、驚いたようにカードをめくる手を止めた。金髪のジェダイ騎士に最も近しい立場にいる男がそれを聞かされていなかった事実に戸惑いを露わにして、ウェッジは口を開いた。
「新しい基地を作る為の視察って名目で、こっちには殆ど帰って来られなくなるらしい。ああ、それから、メリディアン宙域の辺りの惑星がいくつかジェダイを交渉相手として要求してるとか…」
「出発はいつなんだ」
途中で言葉を遮り、鋭い視線を向けてくる男に対してもひるむことなく、ウェッジは肩をすくめた。
「俺の方もこんなに早くコルサントに帰って来られると思ってなかったからな、向こうで落ちついたら連絡するといわれただけなんだ。今夜、ルークも誘おうと思ったんだが、連絡がつかなかった」
相手が全てを言い終わらないうちに、男は椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。何もかもが気に入らない。明らかに自分だけが、ルークがコルサントを離れることを知らされていなかった。
「それなら、解りそうな相手に聞くまでだ」
サバック勝負を置き去りにする男の背後で、黒髪の中隊長がぼやいた。
「いい手になりそうだったのに、残念だ」
早朝の宇宙港はラッシュを迎える前で、出港ロビーは閑散としていた。
ドーム型のボディを持つ清掃ドロイドだけが静かにブルーグレーの絨毯の上を行き来していた。待合室に入ると、軽やかな電子音の後に続く機械的なアナウンスが都市惑星ボナダン行きの大型客船の出港準備が整ったことを告げた。
ルークはドッキング・ベイが全て見渡せる大きな窓にもたれて、磨かれたガラス越しに行き交う大小様々な宇宙船を見つめていた。黒一色の服は周囲の人間を寄せ付けない厳格なオーラを放っているようで、青年と自分を隔てる見えない壁が存在するかのような錯覚を覚える。足をとめてしまったことに苛立ち、男は舌打ちした。
その音で初めてこちらに気づいたように、ルークがゆっくりと振り向く。少しも驚いた様子のないその表情から、青年が自分の行動を前もって知らされていたことは容易に想像できた。
「来ると思ってたよ…レイアから、出港時刻を聞かれたって連絡があった」
「ああ、昨日までお前が宇宙の向こう側に行っちまうことなんか全く知らなかったがな、なんとか間に合ったぜ」
あからさまな皮肉にも動じることなく、青年は微かに微笑んだ。
「大変なときに愚痴の一つも聞いてあげられなくて、悪いと思ってるよ」
「誰もそんなことは言ってないだろうが」
憤りのままに声を荒げると、青年は済まなそうに目を伏せた。その口元に浮かぶ、何もかも受け入れたようでいて、同時にすべてを拒絶するような笑みは、男をますます落ちつかない気分にさせた。
『あなたも私も、人生の伴侶としてお互いを必要としてないわ』
宥めるような声が、頭の中であの決定的な瞬間の台詞を繰り返した。
ああそうだ、これはあのときの彼女の態度と同じだ。
「…お前まで、俺から離れていくのか」
苦しげに吐き捨てると、青年の顔に浮かんでいた曖昧な笑みが瞬時に凍りついた。息を飲む男の目の前で、それは歪んだ嘲笑へと姿を変えていった。
「あんたは…」
言いかけた何かを力無く途切れさせて、青年は首を振った。その低く掠れた声は酷く疲れているようで、男は訝しげに眉を寄せた。
「あんたが、レイアと別れたって言ったとき、僕が何を考えていたのかわかる?」
まるでわかりっこないと決めつけるような声音でルークが訊いた。珍しく酔っていたおかげで余りはっきりとは残っていない記憶を手繰りながら、まっすぐに相手を見つめ返す。
「大事な妹と、親友が幸せになれなかったことは悲しかったよ、それは本当だ。だけど、」
言葉を止めて目を逸らすと、ルークは唇を引き結んだ。端正な造作が泣きそうに歪む。
「だけど、心のどこかでほっとしたんだ……ほっとして、そして怖くなった。あんたの傍から、逃げ出したくなるくらいに」
青年の言葉は掠れた囁きに近くなっていた。肩が震えているのを目にして、男は考えるより先に他人行儀な距離を横切り黒を纏う青年を抱き寄せていた。
「そんな顔するな」
抵抗こそしなかったが、ルークの身体が緊張しているのが密着した身体から伝わり、それをどうにかしてやりたいと思った。抱きしめた体躯は記憶より頼りなげだった。
「ルーク、俺は…」
男はまだ年下の友人の気持ちを測りかねていた。躊躇いがちに緩んだ腕の中からするりと抜け出して、ルークは数歩距離を置いた。目を伏せた青年の額に乱れた髪が落ちるのを黙って見つめる男の頭の中に、突然声が響いた。
隠しとおせなくて、ごめん
前触れもなく流れこんできた感情に、男は狼狽えた。それはほんの一瞬だったが、秘められたものの深さを測るには充分だった。
「あんたのことが、好きなんだ」
言葉にされたそれを聞いても、もう驚かなかった。何も言えずに立ち尽くす男に切なげな笑みを見せて、ルークは踵を返した。そのまま青年は振りかえることなく、宇宙船へ続く無機質な長い廊下を躊躇いのない足取りで進んでいく。
このまま行かせてしまうのか。
そう考えた途端、足元が崩れていくような喪失感に襲われた。震える息を吐いて、気づかぬ間に冷たい汗をかいていた拳を解いて手のひらを見つめる。
『貴方の人生に必要なのは…』
あの日のレイアの言葉が再び脳裏を過った。
失いかけた何かを取り戻すために、男は遠ざかっていく後姿へと一歩を踏み出した。