双子の太陽が中天にさしかかる時刻、モス・アイズリーの大通りは夜間の喧噪が嘘のように閑散としている。ほとんど出なくなった唾液を飲み込んで、ルーク・スカイウォーカーは容赦なく降り注ぐ日射を少しでも避けるため、擦り切れたローブの下で背を丸めた。
一日のうちで最も厳しい暑さに、じっとしていても体内の水分が干上がっていく。地面に直接敷かれた植物繊維のマットは、熱せられた地表から立ち上る暑さを遮ってはくれない。いつまでこうして店を広げているつもりなのかと、青年は傍らで金貨を数えるガリンダンを横目で睨みつけた。
向かいの通りの建物が投げかけるひんやりとした影が、少しずつ遠のいていく。昨夜の祖末な食事と一緒に、わずかな量の生温い水を与えられてから、今日はまだ食事もしていない。ここ数年でもとくに最低な日だ──乾いた笑いがこみ上げ、祖末な砂色のローブに覆われた肩が揺れて、後ろ手に嵌められた手錠の鎖が重い金属音をたてた。
ルークが奴隷として違法に「所有」されることになったのは、3年前のことだった。流行病で叔父と叔母を相次いで亡くした15の少年は、残された農場を続けていくだけの能力を持ち合わせていなかった。ガラクタ同然の水分凝結機とともにアンカーヘッドのジャンクショップを経営するトイダリアンに買い取られた青年は、それでも1年間は人間らしい扱いを受けていた。同年代の少年たちのように、気の向くままに出歩く自由こそなかったが、口は悪いが悪人ではない主人はルークに買い物や配達も言いつけたし、多少の寄り道は許されていた。
インペリアルアカデミーに入学する密かな夢は潰えたものの、日がな一日オイルと砂埃の匂いで満ちた店の中で機械弄りに明け暮れる毎日を、ルークはそれなりに気に入っていた。
穏やかな日々が嵐の前触れだと気づいたのは、ギャンブル好きのトイダリアンが全財産を失い、すでにどんな対策を打つにも手遅れになってからだった。人身売買の組織に二束三文で買いたたかれたルークは、それぞれに不遇な人生の坂道を転げ落ちた奴隷仲間とともに、狭くて不衛生な小屋に押し込められた。商品である彼らは、一人、また一人と満足な寝具もない小屋から引きずり出され、各々の数奇な運命を辿っていく。自分もそうなるのだと諦められるわけもなく、ルークは密かに脱出の機会を伺った。
競売にかけるため小屋から出されるたびに脱走を図り、体罰の末に小屋に返されるルークは、少数の抵抗勢力の一人だった。ほかの脱走犯は皆身体的に恵まれたヒューマノイドばかりで、数人は脱走に成功したとも言われていた。協力して脱走する計画を持ちかけたこともあったが、その手の輩はそれぞれに機会を狙っていて、いざというときに踏み台にされる危険があり、ルークは彼らと話をすることを早々にあきらめた。
一人で何度も脱走を試みたが、発信器を兼ねている首輪をはずす前に追手に見つかり連れ戻されるのが常だった。最近では、商人たちも早く処分してしまいたいという気持ちが先に立ち、だんだんと食事や水分補給の回数が減り、競りにかけられることなく道端に座る時間が増えていた。今日も、手錠で後ろ手に拘束され、ヒューマノイドの力では断ち切ることが不可能な鎖で背後の建物から突き出る頑丈なパイプに繋がれている。
隣に座り込むガリンダンが身じろぎし、ルークは目線だけを動かした。黒い安物のローブの下から水筒を取り出し、奴隷商人が温くなっているだろう水を呷る。水音が聴覚を刺激して、堪え難いほどの乾きを覚えた青年は、歯を食いしばり欲求を押さえつけた。ぎり、と奥歯を噛み締め唇を引き結ぶと、乾ききってひび割れた皮膚から滲んだ鉄の味がかすかに舌の上に広がった。
気を逸らすためのきっかけを求めた意識の片隅に強い気配を感じ取り、ルークは目だけを動かし気配の源を探した。フードの影から送った視線が鋭利なヘイゼルグレーの眼差しに吸い込まれ、自分でも驚くほどに狼狽えて、青年はすぐに視線を下げた。やり場のない視線を下に向けると、ジャンクショップで働いていた頃より日に焼けた自分の膝頭に人の形をした影が落ちた。影が生まれた方向には、砂がつき白くなった黒いブーツのつま先があり、さらにその上には、今しがた互いの瞳の色を交えたスペーサーの体躯がそびえていた。
襟元がやや大きく開いた白いチュニックに、作業用の黒いベスト。隙のない長身の男に対してルークが抱いたのは、羨望と少しの対抗意識だった。立ち止まった理由を量りかねていた青年は、男が自分の値段を訪ねたとき少しだけ驚いた。いそいそと立ち上がったローブ姿の奴隷商人は、受け渡しの手数料を含めた代金として、6,000クレジットを提示した。
「6,000クレジットだと?このガキがか?」
売り手がつかないルークにつけられていたのは、相場からすると破格の値段だったが、男は冗談じゃない、とベーシックでせせら笑った。憤慨してだみ声でがなりたてるガリンダンは、それでも必死で食い下がる。5,000、いや4,500。
「せいぜいが2,000だろう。見たところ逃亡癖もあるようだしな」
男の視線が手首や足首に残る無益な抵抗の痕跡をたどるのを感じて目を伏せる。この物好きな客の見立ては正しく、青年の体躯に残る傷のほとんどは、幾度も試みた脱走の度にきつくなっていく束縛に懲りずに歯向かった結果負った傷ばかりだ。衆目に晒される顔や腕や脚の傷よりももっとひどいのはぼろぼろの衣服で覆われた腹部や背中に点々と染み付いた痣で、それは逃亡劇の終焉に必ず待っている商人からの報復の跡だった。
「こいつが売れ残って困るのはそっちだろう?どうせろくなものを食わせてないんだ、そのうち衰弱して売れ物にならなくなるのは目に見えてる」
瞳に剣呑な光りを滲ませて、男が商人を見下ろす。図星をつかれ、不遜な態度の客と売れ残りの商品とを交互に見たガリンダンは、それでも3,000クレジットという値段を提示した。
「2,500だ。それ以上は出さない」
逆らうことを許さない声音に負けを認めて、奴隷売人は長い鼻をうごめかせて同意を示した。膨らんだベストのポケットから重量感のある皮製のパウチを取り出したスペーサーは、何枚かの金貨を取り出して、残りをガリンダンの足元に放り投げた。
「確かめるんなら早くしろ」
すぐに貨幣の入った袋に飛びついた商人を冷たく一瞥し、男はルークの前に膝をついた。黙って成り行きを見守っていた青年は顔を上げ、自分を買った風変わりなスペーサーを見つめた。揺らぐことなく視線を返すヘイゼルグレーの瞳に、ガリンダンを睨みつけた鋭さはもうない。
「歩けるか?」
初めて真正面から見た男の顔は、思いのほか整った造作をしていた。唇の下に傷跡を見つけて、それがそこに残るに至った顛末を思案しながら、青年は久方ぶりにベーシックを口にした。
「はい…マスター」
見も知らぬスペーサーに敬語を使うのは気が進まない。それでも、首輪に繋がった鎖を握り締めて放さない奴隷商人の不興を買い、殴られるのを避けるために、青年は男を『ご主人さま』と呼んでやった。
顔をしかめ、厳しい表情で何かを言いかけた男は何故か口をつぐんで、ようやく金貨の数を数え終わった売人をせっついた。
「金勘定が終わったら、こいつのデータを寄越せ。これを外す鍵もな」
鍵を受け取ると、男はすぐにルークの手錠を外した。逃亡犯にわざわざ脱走の機会を与えるような買い主の行動を不思議に思いながら、ルークは凝り固まった肩を動かした。引き攣れるような痛みはきっと一時的なものだろうと判断し、窮屈な座り方で痺れかけた足を崩して、感覚のなくなったふくらはぎをさする。思っていたほど痺れはひどくなく、どうにか歩けそうだった。ほっと息をつき、顔を上げると、男がじっとこちらを見下ろしていた。
ルークが慎重に立ち上がると、年上のスペーサーは目線でついてこいと告げて、ゆっくりとした歩調で歩き出した。思うように動かない足で歩を進めた青年は、いくらも進まないうちにひどい目眩に襲われた。水分補給不足と空腹が歩みを進めることを不可能にする。それでも角を曲がり、奴隷商人の目に入らない場所まで歩き続けたのは、売り物にされた屈辱に抗う青年の最後のプライドだったのかもしれない。
歪む視界を遮るためにきつく目を閉じても、足下の地面が波打っているかのような感覚はなくならない。耐えきれず、揺れのおさまらない地面に膝をついた。身体が発する危険信号の対応で精一杯だった青年は、髪を覆っていた布地が取り払われてはじめて、新しい主人がすぐそばに跪いていることに気づいた。額に無骨な手が押し当てられ、聞こえるか、坊や、と低い声が耳に届く。
「最後に水を飲んだのはいつだ」
「きの…の、よる…」
「ちょっと待ってろ」
どこかの軒下の日影へと導かれ、ルークは建物の壁に背をあずけてずるずると座り込んだ。くらくらする頭を押さえて、必死に意識をつなぎとめている時間が永遠に続くようにも思え、明滅する不快な闇に何度も負けそうになる。背をつけた壁のごつごつとした感覚が遠のきかけた刹那、一度は離れた強い気配が引き返してくるのを感じて青年はのろのろと顔をあげた。
「水だ、坊や。飲めるか?」
小さなボウルが唇に押し当てられ、大きな手が背中を支えた。冷たい液体が唇に触れ、沈みかけていた意識が表層へと引き戻される。思うように動かない手で器をつかむと、焦るな、と宥めるような声が降ってきた。水分を貪ろうとする欲求をこらえて、青年はできるだけゆっくりと水を喉にながしこんだ。乾ききった身体の隅々に潤いが染み渡っていく感覚は、安堵感とともに涙となって目蓋を熱くさせた。
「いい子だ」
貴重な水をこぼすことなく器を空にすると、背を支えていたハンの手が幼子にするような動作で額にかかった髪を梳き、埃だらけの金髪をくしゃりと撫でた。所有者らしからぬその動作に戸惑いを感じると同時に、男の手は離れていった。気をとりなおすために深呼吸をして何度か目をしばたくと、青年は前髪を払うふりをして、眦に残る涙を汚れたローブで拭った。
ルークの生命をつないでくれた飲み物は、人気のない通りで健気に店番をする水売りが提供してくれたものらしく、幼いローディアンが器を回収にきた。まだ少し揺れている視界を定めようと視線を投げた先で、男の手が青い肌のエイリアンに駄賃を渡すのが見えた。
「少し休んでいくか、それとも担いでいくか?」
「…大丈夫、歩ける。歩けます、マスター」
主人と呼んでいるのにも関わらず、年上のスペーサーはひどく不機嫌そうに顔をしかめた。
「その呼び方はやめろ、名前はハン・ソロだ。お前は…ルーク、で登録されてるが、このデータは合ってるのか?」
男は片手におさまる大きさの携帯端末を出して、先ほど商人から受け取ったらしいデータチップの内容に目を走らせていた。
「ルーク・スカイウォーカー、です。ソロ…様」
様もよせ、と命令口調で言い返した男は、ベストのポケットを探り、電子ロックを取り出した。大きな手がためらいもなく首に嵌められた拘束具に触れ、反射的に肩をすくめる。カチリと鍵穴に金属片がはまる音がして、息苦しさと屈辱感で青年を苦しめていた首輪は、傷だらけの鉄くずとなって地面に落ちた。無機質な器具で不自然に覆われていた肌を外気が撫でる感覚に肩が震える。おそるおそる喉元に手をやると、金属で擦れて瘡蓋のような汚れがこびりついたそこは、まるで自分の皮膚ではないようだった。長い間止めていた息を吐くと、久方ぶりに深呼吸をするような爽快感が広がる。身体が軽くなった錯覚を覚え、青年は何度か深い呼吸を繰り返した。
「船の操縦はできるか?」
「ふね…?ええと、あの、スカイホッパー、なら…それから、貨物船のエンジンの修理なら一度だけ手伝った、けど」
唐突な質問に目を瞬いて、しどろもどろになりながらも、青年は幼少時代やジャンク屋で働いていた頃の記憶を辿って答えを口にした。
「T-16か。インコム社の小型機とはちょっと勝手が違うが、まあなんとかなるだろう」
「なんとかなるって、操縦するの?僕が、あんたの船を?」
「エンジンの修理ってのも、ちょうどいい。メンテナンスは手伝ってもらう予定だからな」
どういうことだと詰問口調で言いかけて、ルークは寸でのところで問いを飲み込んだ。混乱のせいで、かしこまっていた口調がすっかり元に戻っている。しかし、不可解な男の台詞に対して重なり続けていた疑問は、続いた質問ですべて吹き飛んだ。
「データには脱走の常習犯だったとあるが、まあ、その傷を見りゃ一目瞭然だな。俺からも逃げるつもりか?」
どう答えていいかわからず、首をさすりながら無言のままで見上げると、男はこともなげに信じがたい一言を放った。
「逃げたいなら、好きにしろ。ただし、この界隈で生き残る保証は…」
「行くところなんて、ないよ」
言ってしまってから、自分の突っぱねるような声音に驚き、ルークはひやりとしながら相手の顔色を伺った。しかし顔色ひとつ変えない長身の操縦士の思考はまったく読めない。そうか、と短く返事をして歩き出した風変わりな主人の背を見失わないよう、ルークは立ち上がり黒いベストの背中を追いかけた。
前を行く男の歩調は、先ほどより更にゆっくりとしたものになっていた。
男──ハン・ソロが青年を連れて向かった先は、モス・アイズリーの宇宙港にほど近い裏通りに面した小さな食堂だった。通りの並びの店と同じ色をした砂壁に大きな穴が開いたように、透明な強化素材でできた両開きの入り口があり、その両隣には大きな窓がある。右側の窓にかかっている看板らしきものは、色あせていて字が読み取れなかった。左側の窓には、ベーシックとハット語で「休業中」と表記されている色あせたネオンサインがあったが、それを気にする様子もなく、年上のスペーサーは店の扉を押した。店のドアはルークが足を運んだことのあるどこの店とも違い、完全に手動のようで、店内に侵入した砂埃を迷惑がるように、蝶番が軋んだ音をたてた。
こぢんまりとした店内には、窓際のボックス席が2つとカウンター席が4つ。辺境惑星の宇宙港にたむろする客層を考慮してか、店の内装は潔癖さを感じさせない程度の清潔さが保たれているようだった。きょろきょろと店内を見渡す青年の前で、ハンがカウンターの奥に向かって声をかけた。
「デクスター、いるか」
空っぽの店内に響いた声が、誰にも届くことなく静寂に飲み込まれたかに思われたとき、カウンターの奥の扉から、大柄なベサリスクがのっそりと姿を表した。恰幅の良い胴とルークの腕などひとひねりにできそうな4本の腕を持つエプロン姿の店主は、不思議と気分を和ませる親しみやすさがあり、ルークはすぐに警戒を解いた。デクスターと呼ばれたエイリアンは、4つの手のうちのひとつに火のついた煙草を持っていて、料理人らしからぬ態度で紫煙を燻らせていた。
「久しぶりだな、ソロ」
クレイト・ドラゴンがベーシックを喋ったら、きっとこんな感じだろう。デクスターの声を聞いて、ルークの脳裏によぎったのはそんなことだった。ヒューマノイドのそれよりずっと頑丈そうな骨格はもちろんのこと、岩のような皮膚や、思慮深さを感じさせる眼の上にアーチを描く眉も、タトゥイーンで最も大きな爬虫類を彷彿とさせた。
「金に困ってジャバの仕事を請けた挙げ句、スパイス航路で死んだって専らの噂だったぞ」
物騒な冗談を口にして、四本腕の店主は小さな店内を震わせる低い笑い声を響かせた。ジャンク屋の奴隷でも知っている悪名高いハット族の名前を聞き取り、ルークは思わず男の方を向いた。モス・アイズリーに出没するスペーサーが、ジャバの依頼を請け負うことは不思議なことではなかったが、何故かその事実にひどい違和感を感じた。
「生憎と俺は生きてる。それにもうジャバには関わらない。チューイの機嫌を損ねたくないんでね」
「賢明だ。チューバッカは息災か?」
知らない登場人物や地名がひっきりなしに飛び出す会話についていけず、ルークは擦り切れそうな細長い布地で巻かれただけの汚れたつま先を見下ろし、料理店の床のタイルの幾何学模様を視線でなぞった。幸いなことに二人はすぐに本題に入り、ハンが青年の方を示して店を訪れた理由を説明した。
「こいつの傷の応急処置をしたい」
「うちは病院でも慈善事業でもないんだがな。それに今ちょうど、バクタジェルを切らしてる」
「薬は後だ。まずはこの坊やに何か食わせてやってくれ」
身勝手な客の台詞にも気分を害した様子はなく、デクスターはハンの背後で所在なさげに立ち尽くす青年に、カウンター席に座れと合図してみせた。埃だらけのぼろぼろの服がはじめて気になりだして、青年はためらいつつ、年上のスペーサーの表情をうかがいながらカウンターへと近づき、ヒューマノイド用にしては少し大きめのスツールに腰掛けた。
「必要なものを調達してくる間、こいつを頼む」
知らない場所に置いていかれる状況を悟り、反射的にハンの顔を見上げる。ひどく心細い気分になっていることを自覚し、ルークはすぐに目を伏せた。
「すぐ戻る。食事して待ってろ」
まるで子供に言い聞かせるようなその言葉に素直にうなずくと、男は何故か口の端を上げてにやりと笑った。そして向かった出口の手前で足をとめ、振り向くと店主にコインを1枚投げた。
「食事代と場所代だ」
下方の二本の腕で作業をしながら、デクスターは煙草を持っていない手で器用にコインを受け取り、金貨であることを確かめると、大きな手の上でやけに小さく見えるそれをエプロンのポケットにしまった。
「景気がいいな、ソロ。ついでに今までのツケも払っていくか?」
「なんのことだ」
肩越しに渋い表情を向ける男を見て、店主は再びしゃがれた声で笑った。そのまま店を出ていくソロの背中を心もとない気分で見ていると、ひんやりとした空気を首筋に感じた。振り向いた青年に、カウンターの向こうから濡らした布地が差し出された。受け取ったそれは心地よい冷たさで、微かにアルコールの香りがした。
「それで傷を拭いておくといい」
「ありがとう」
青年が埃だらけの顔や腕を拭っている間に、デックスの4本の腕がまるで魔法のように動き、料理を仕上げていった。程なくして、大皿に乗った数種類の手料理とグラスに入った水が目の前に置かれた。湯気をたてるそれを見下ろし、溢れてくる唾液を飲み込んで、ルークはおそるおそる店主の顔を見上げた。
「いいの?」
「開店前の賄いだ、たいしたものじゃない。それに代金はもうもらってる」
胸ポケットを叩いて笑う大柄な料理人に、いただきます、と断ってから、ルークは久しぶりのまともな食事にかぶりついた。奴隷部屋の祖末な食事とは比べ物にならない美味しさが、心底ありがたかった。グラスに入れて出された水と一緒に、ひとかけらものこさず出された料理を平らげると、幸せなため息がこぼれた。空になった皿とフォークをカウンターの上に返すと、2本目の煙草に火をつけたデクスターが、ソロの連れにしちゃ行儀がいいな、と誰にともなく呟いた。
静かな店内に、開店準備をするデックスがたてる音だけが響き、心地よい温度に保たれた空気の中、ルークは初めて肩の力を抜くことができた。グラスに残った水をゆっくりゆっくり嚥下していると、今までの疲れがどっと押し寄せ、睡魔となって目蓋を重くした。慌てて首を振り、青年は休むことなく手を動かし続けている料理人に遠慮がちに声をかけた。
「あの…あなたは、ハンと知り合いなんでしょう?ハンは、どんな人?」
「相棒と一緒に運び屋をやってるスペーサーだ。密輸もやるし、最近じゃあのジャバ・ザ・ハットの仕事も引き受けたって話を聞いたな」
「奴隷も運ぶの?」
奴隷商人に対するソロの態度を思い出しながらルークが問いかけると、デクスターは愉快そうに片方の眉を上げて青年を見下ろした。
「それは無ぇな。あいつは人身売買が大嫌いなんだ」
「じゃあ、なんで僕を…」
こぼれそうになった煙草の灰をカウンターの上にある空き缶に落とした店主は、ささやきに近いその呟きを聞き取り、肩をすくめた。
「そいつは本人にでも聞くんだな」
台詞と同時にベサリスクが顎で示した先を見ると、砂埃でくすんだ窓の向こうに見える路地から、包みをいくつか抱えた男が姿を現したところだった。
デクスターの店を後にして、ハンの船が停泊しているドッキング・ベイに向かっていた。せめて荷物持ちくらいは、という訴えも空しく、いちばん小さな包みを渡されて、ルークは釈然としない思いで先を行く男の足元を見つめて歩いていた。先刻、大柄な料理人に投げかけた問いが、未だに胸にうずまいている。
不意に、先を行く男の歩みが止まり、周囲の景色に目をやった青年は、そこで初めて自分が既に宇宙港の中に入っていたことを知った。乗組員用の入り口は僅かに開いていて、鉄制の引き戸の隙間から覗いた円形の停泊所には、見たことのない形状の貨物船があった。
「まるでガラクタだ」
思わず口にしたルークの素直な感想に対し、男は聞き捨てならないとばかりに片方の眉を上げて反論した。
「外見は年季が入ってるが、性能はそんじゃそこらのクルーザーとはわけが違うぜ」
「これ、飛ぶの?」
「その辺でやめとけよ、坊や。彼女のスピードはこの銀河じゃ…」
言葉を途切れさせたハンの表情が俄に緊張を帯びるのを見てとり、ルークはきょろきょろと落ち着きなく辺りを見渡した。男は重厚な扉を自分が通るために必要なだけ開けて停泊所に足を踏み入れ、片手に抱えていた荷物を床に降ろした。続いて中に入った青年が、小さな荷物を地面に置くかどうか迷っていたとき、下がったままのタラップの向こうから、複数の人影が姿を現した。ごろつきと呼ぶにふさわしい外見のスペーサーを数人従えて、巨大なハットがたるんだ身体をドッキングベイの床に這わせ、濁った目でこちらを注視していた。
「《ソロ、仕事を持ってきてやったぞ》」
聞こえてきたハット語はざりざりと耳に不快な音で、ルークは顔をしかめた。ホルスターに手をかけたハンが、侵入者たちと青年との間に身体を割り込ませ、黒いベストの背中が視界を遮った。
「その依頼はもう断ったはずだ」
「《お前にとっても悪い話じゃないはずだ、引き受けるなら報酬を上乗せしてやろう》」
「断る。何度頼んでも無駄だ、ジャバ。人相の悪いお友達と一緒に帰れ」
少しだけ身体をずらし、男の背中越しに停泊所の向こうを見ると、人相の悪い屈強なボディガードたちが怒りを滲ませた表情でこちらを睨みつけていた。ジャバと呼ばれたハットは、醜悪な巨体を引きずり、ハンの方へと近づこうとしている。悪評を聞いたことはあるが、タトゥイーンを含めたワイルドスペースとその近隣宙域にまでその名を轟かせるジャバ・ザ・ハットを実際に目にするのは初めてだった。
「《望みはなんだ、ソロ。報酬が足りないのか。それとも今お前が背後に隠しているような奴隷が欲しいのか。そんなものならいくらでも用意してやる》」
「黙れ」
ジャバが言葉をいい終えないうちに、低い唸り声を発したハンがホルスターの留め金をはずした。広い背中から剣呑な気配が立ち上るのが目に見えるようで、青年は傲慢なハットが男の逆鱗に触れたことを知った。年上のスペーサーが使い込まれたブラスターを構えた瞬間、ジャバを取り囲む用心棒の集団とは別の方向から明確な殺意を感じ、身構えたルークはそれを感じた方向に向き直った。
敵意の発信源は、ルークたちが入ってきた扉を塞ぐように立ち、表情が透けることのないバイザーごしに青年たちを見ていた。頭を完全に覆い隠す兜のせいでヒューマノイドかどうかさえ判別できないその姿から、青年は目をそらせずにいた。ジャバを取り囲む小悪党の集団とは明確に異なる危険信号を感じ取ったからだった。急に口内の乾きを覚え、鼓動が耳元でうるさく鳴り響く。金縛りを解いたのはハンの声だった。
「キッド、どうした」
ジャバに銃口を向けたままの男は、ルークの方を向いてはいなかったが、背中から伝わる押し殺した声は、青年を縛る恐怖心を解くのには充分だった。
「6時の方向であと一人、こっちに銃を向けてる。他のやつらとはちょっと違うんだ」
「そこまで気づいてりゃ上出来だ」
男が不適な笑みを浮かべたのを気配で感じ取り、恐怖心にとって代わった不可思議な高揚感が体内に満ちた。銃を構え対峙する男たちの狭間で、ジャバが憤慨にまかせて不快なしゃがれ声でがなりたてていた。
「恩知らず、とか言われてるけど、いいの?」
「知らねぇな。ファルコンの修理のために請けた仕事だ。彼女が調子を崩してなかったら、誰が好き好んであんな化け物の依頼なんか聞くか」
こう着状態に焦れたジャバの用心棒の一人がトリガーにかけた指に力をこめて足を踏み出したとき、ドッキングベイに獣の唸り声とブラスターにしては派手な銃声が響き渡った。褐色の毛皮が視界の端を横切り、その大きな獣の正体を判別する前に鋭く低い声で名を呼ばれ、青年の身体はドッキングベイの床に引き倒されていた。
耳元と鼻先を掠めたレーザーは、遠い過去に経験したスタン・モードとはまるで違う。反撃したハンのブラスターから放たれた攻撃が鼓膜と体の芯に残響を残した。着地した瞬間、衝撃はあったが痛みはなく、鼓動が耳に大きく響いていた。それが自分のものではなく、密着している身体から伝わる音だと気づいたのは、男が半身を起こしたことで、温もりとともに規則正しいリズムが離れてからだった。
「チューイ、兜の奴は深追いするな」
何かをひきずったような跡が残る搬入用の通路に向かって男が怒鳴ると、さっきと同じ唸り声が返事をするのが遠くで聞こえた。いつの間にかジャバの一行は一人残らず逃げていて、ヘルメット姿の人物もとうに姿をくらませていた。地面に腰を降ろしたまま、膝をたてて長い息をついたハンは、握りしめていた銃をホルスターにしまって、隣で胡座をかいた青年を見下ろした。
「怪我はないか、坊や」
「うん、平気」
ぱたぱたと衣服を叩くと、もともと薄汚れたチュニックから砂埃がもうもうと舞った。軽く咳き込みながら真剣なハンの眼差しを受け止めると、何故か急に笑いがこみ上げた。小さく吹き出すと、男の双眸もやがて笑みを含んで、二人はどちらからともなく笑い出した。
危機を乗り越えた高揚感と、ほどけた緊張が引き起こした笑いが止んだとき、ルークは自分でも驚くほどすんなりと、最も気になっていた疑問を口にしていた。
「あんたは、なんで僕を買ったの?」
不意をつかれたように、男の顔から笑みが消えた。食い入るように視線をぶつけるルークの瞳を覗き込んで、年上のスペーサーはゆっくりと答えを口にした。
「人手が必要だったからだ。お前をファルコン号で雇って──」
「それなら、ほかにいくらでも方法があるだろ。タトゥイーンじゃなくたって、どこの宇宙港にも仕事を探してるヒューマノイドなんかいくらでもいるよ。あんたがここで、嫌いな奴隷制度に加担する理由にはならない」
たたみかけるように問いつめると、ハンは青年の激高にも動じることなく、視線を逸らさずに目を細めた。
「理由は、そうだな…お前の目が、諦めてなかったからだ」
思いもかけない言葉に、自分でも理解できない憤りが萎んでいく。諦めていなかった、僕が、何を?
人生を思うとおりに歩む権利を、一度は当たり前のようにそこにあった自由を、手に入れるまであきらめない──最初は確かにそう思っていたかもしれない。この境遇から抜け出して、人並みの生活に戻るのだと。それでも、失敗を一つ重ねるたびに拘束の手段が段階を経て厳しくなり、希望にすがる心が萎えていたのも事実だった。手を変え何度も逃げようとする商品をそうやすやすと見逃すほど商人たちもお人好しではない。見せしめに浴びせられる暴力と、減らされる食事と水。体力の限界は少しずつだが確実に近づいていた。あのまま路上に陳列される日々が続けば、間違いなくあと数日で倒れていたはずだった。そうなればあとはサルラックの餌になるか、金持ちの犯罪者が好む残虐な猛獣ショーを盛り上げる道具にされるか、なんにせよ、奇麗な結末が待っていなかったことだけは明らかだった。
あぶないところを助けてもらったのだと、頭では理解していた。それを認めてしまえば惨めさに押しつぶされそうで、感情が拒否していた。いっそのこと、ハンが嗜虐趣味のある悪人ならば、今度はどう逃げ出してやろうかと、チャンスを窺うこともできたはずだった。通りすがりのスペーサーの善人めいた気まぐれでやっと繋がった命なのだという容赦のない現実をつきつけられて、溢れた感情は悔し涙となって頬を流れ落ちた。
「なんだよ、それ…」
絞り出した声はみっともなく掠れていて、青年は歯を食いしばった。声を抑えた分、視界を歪ませて溢れる雫がぽたぽたとドッキングベイの床に落ちた。外したままになっていたローブのフードが髪を覆い、こぼれていく感情とともに震える肩を力強い手が引き寄せて、先刻よりゆっくりとしたリズムを刻む心臓の鼓動が近づいた。
肩に触れた腕を振り払いたい気持ちと、温もりに飢えた心とが体内でせめぎ合い、嗚咽をこらえるのが精一杯だった。苦く冷たい涙はやがて頑になった心にこびりついた負の感情を洗い流し、安堵とともに胸に灯った希望に押し流されるように引いていった。
薄い砂色のローブに覆われた肩の震えが少しずつおさまった頃、咳払いのようなうなり声が停泊所の静寂に落ちて、金髪の青年と長身のスペーサーは同時に顔を上げ、同じ素早さで互いに距離をとった。
「チューイ、脅かすな」
「ウーキーだ…!」
ハンの叱責をかき消す音量で、青年は泣いていたことをすっかり忘れ感嘆の声を上げた。ホログラムの中でしか見たことのないエイリアンを目の当たりにして子供のように声を上ずらせるルークを、見事な赤褐色の毛皮を持つウーキーが優しい瞳で見下ろしていた。顔まで厚い毛皮に覆われたその生物は、小脇に抱えたバズーカ砲が小さく見えるほどの大きさで、右肩から斜めにかけた弾薬ベルトが妙にしっくりと馴染んで見えた。
「すごい、本物だ。ほんとに会えるなんて…ねえハン、あんたの副操縦士ってもしかして」
「チューイ、これがうちの新しい乗組員だ。ルーク、副操縦士のチューバッカだ」
「よろしく、チューバッカ」
呆れた顔でぞんざいとも言える簡単な紹介を済ませた船長に向かって、のっぽのウーキーはぐるぐると低く喉を慣らし、続けて何度か短い声を発した。
「そいつは子供でもなければ可愛くもない。いいから離陸の準備だ、砂の固まりと早くお別れしようぜ」
青年が聞き取れないウーキー語を正確に理解しているらしいハンの指示に従い、ファルコン号の副操縦士はヒューマノイドのような仕草で肩をすくめておんぼろ船のタラップに向かった。チューバッカを追いかけるべきか躊躇して隣を見上げると、ハンは手をのばし親指の腹で青年の頬に残る涙の跡を拭った。くすぐったさに目を眇めると、額にかかる前髪をすくいあげた大きな手がくしゃくしゃと頭を撫でた。
「お前も早く乗れ、ルーク。顔を洗ったら、すぐに出発だ」
...and so their journey began.
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